八王子市は面積が広大ということもあってお寺の数も相当なもので、古仏を有しているお寺もたくさんあると思われる。しかし情報は少なく、「東京近郊の仏像めぐり(Gakken Mook)」というムック本を頼りにすることが多い。今回は年に1日のみのご開帳であるこちらのお寺へと向かった。
仕事で以前はよく訪れていた八王子北西部のあたりを通過し、陣馬街道を山へと分け入る。八王子城跡の北側の谷戸を入ったところ、圏央道の高架のすぐ下に浄福寺はあった。
駐車場の上には大きなしだれ桜の木があり、これが咲いていたらさぞや見事だろうな、と思う。
時折目の前の道路を通る車の音以外には鳥の声と風の音しか聞こえない静かな環境だ。
石段を上がっていくと、大きな屋根の本堂が目の前に現れる。
1年に1回のご開帳ということだが、境内には参拝者は誰ももいない。本堂の正面の障子が少し開いていて、その奥に大日如来が遠く須弥壇の上に見えるが観音菩薩は見えない。
広い本堂に入ると、中のひとつの間に厨子(室町時代)が置かれ、その中に千手観音は安置されていた。この厨子は都の文化財指定を受けている。
千手観音菩薩立像(室町時代)寄木造 像高68cm
「東京近郊の仏像めぐり」の写真を見ていただけだと大きな像だと思っていたのだが、実際にはかなり小さい像であった。
腕は全部で25〜26本というところなので欠損しているようだが、とりわけ合掌している手はかなりプリミティブな感じで、おそらく後補であろうと思われる。
顔は厳しい雰囲気だ。室町時代的な表情なのだという。どこかで見たことがあるなぁ、と感じたが、同じ多摩地区では最も有名な古仏である塩船観音寺の千手観音像にどことなく似ている。
地方仏の雰囲気たっぷりに見えるが、衣紋に目を移すとかなり見事だ。どことなく大報恩寺の六観音を思わせるような見事な彫りで、この仏像の格調を高くしているという感じがする。慶派に詳しい友人に写真を見せたところ、宋風の影響が出ているという見解をいただいた。
像全体を見たところ、両肩が別材になっていることもあり、おそらく体幹部は当初像で、後補の腕の部分との技術の差があるものと思われる。この衣紋の状況からして、当初像の全体はかなりのものであったことだろう。それもぜひ見てみたかったな、と思うが、厨子の中に現在のちょっとだけアンバランスなこの状況でいらっしゃるのもまた、何とも愛らしいと感じた。
蓮台の下に磐座があり、これが珍しいという。墨書から、この磐座はかつては相模国大山寺の不動明王の台座であったという。あの鉄造不動明王のことだろうか?
本堂は非常に立派で、江戸時代のものだという。この寺院は徳川家の庇護を受けていたそうで、お堂の中にある下賜されたという葵の紋の入った箪笥を見せていただいたり、襖に描かれた日本画は狩野派のものだということを教えていただいた。
お寺の裏山に行くと良いとお寺の方に教えられたので、墓地を抜けて上っていく。1年に1回のご開帳のこの日は、午前中に檀家の皆さんが集まってこの道を掃除されるそうだ。
西国三十三観音の石仏が並べられており、その道筋にはヤマブキが綺麗に咲き乱れていた。
墓地の一角には樒(しきみ)の花が咲いていた。不思議な形の花だ。
三十三観音の石仏の前を通って上っていくと、その最上部にはかつての観音堂が今も遺されている。もともとはこの裏山全体が城であったそうで、その城の一角に置かれた観音堂に千手観音は収められていたのだそうだ。現在は防犯上のためもあって山から下ろされている。
境内には他にも諸葛菜などの花があふれていてとても落ち着く空間だった。
【千手山 浄福寺(じょうふくじ)】
〒192-0154 八王子市下恩方町3259
TEL:042-651-3351
拝観:毎年4月17日のみ開帳
拝観料:志納
アクセス:
駐車場:お寺の前に10台ほど止められる(無料)
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