大報恩寺(京都府京都市上京区)― 千本釈迦堂の一大慶派ワールド

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本堂前の八重桜

私は両親の趣味からして仏像に物心つく前から触れる機会に恵まれてきたが、自分でお寺巡りをするようになった中学生の頃、奈良にばかり行っていた自分が今度は京都に行こうと思い立った。父に「京都で仏像というと広隆寺という気がするけど、それ以外にどこがいいかな?」と質問すると「千本釈迦堂だろうな」と答えてくれた。千本釈迦堂は大報恩寺の通称であり、千本通の近くにある釈迦堂という意味で、嵯峨釈迦堂(清涼寺)と区別するためにつけられたそうだ。

結局その時には行けなかったのだが、その後、姉と京都を巡った時に初めて千本釈迦堂へと足を踏み入れた。しかし、天平の仏像好きで鎌倉仏にはまだあまり興味がない頃で、慶派というと東大寺南大門の仁王を知っているという程度だった青き時代の私にはあまり響かなかったのだろう、薄暗い本堂と、ずらりと並ぶオカメがちょっと怖かった思い出しかない。霊宝殿に入った記憶すら曖昧である。そうしたことから、早く再訪したいと思っていた。

今回はすぐ近くのゲストハウスに宿泊したこともあり、夕方にゆっくりと拝観した。

南門

本堂は安貞元年(1227)の建立で、お寺の創建当時の建築物である。数多の戦乱や火災を逃れた貴重な遺構であり、京都市内最古の建築物で、国宝に指定されている。

本堂

本堂前の八重桜が咲いていた。まるでくす玉のようだ。

(追記:フォロワーさんからの情報で、「普賢象桜」と言うそうです。普賢菩薩が乗る象の牙のように雌しべが2本ニュッと出ていることに因んでいるとか)

本堂前の八重桜

入口でご朱印帳を預けて拝観料を払う。明日から「京都・春の特別公開」が始まり、本尊の釈迦如来座像も開扉されるというので明日に来たほうがいいのだが、旅の行程上、ゆっくりと拝観するためには明日の朝では時間が足りない。仕方ないので今日明日と来ることにしたが、お寺の方には「明日は明日で800円とられますよ?いいんですか?」と言われた。まぁ仕方がない。

本堂脇

このお寺はいつ来ても人がいない。本堂に上がっても誰もおらず、ガランとしていて、夕暮れ時になっていることもあって薄暗い。以前来た時と同じだ。本尊の厨子は閉まっており、何だか明日の下見に来たようだ。

奥の間のおかめコレクションも久しぶりに見学したが、これだけ人が少ないとやはりちょっと怖い。おかめ伝説はおかめさんの深い愛情のエピソードなので、もうちょっと見せ方を工夫してもいいのかもしれない。

おかめコレクション

本堂を出て霊宝殿へと入る。かなり立派な収蔵庫で内部も相当に広く天井もかなり高い。体育館のよう、と形容している方もいたが、まさにそんな感じだ。たくさんの仏像たちや、大きな雅楽の太鼓の周縁など、ずらずらっと並んでいる。

霊宝殿

 

この霊宝館では、やはりなんといっても六観音十大弟子が素晴らしい。向かって右に六観音がずらりと並び、それと向かい合うように左手に十大弟子がズラリと並ぶ。

六観音は肥後別当定慶の作として知られるが、実際に定慶が作ったとして確定できているのは、銘文が遺されている准胝(じゅんてい)観音像のみであるという。もともとは一具として作られただろうが、准胝観音以外の像については定慶ではないという説もあるとか。

准胝観音菩薩立像(鎌倉時代) 像高190cm 肥後定慶作 国指定重要文化財

准胝観音
(「運慶・快慶とその弟子たち」展 図録より)

 

思わず見ほれてしまうほどの立体感である。千手観音よりは少ない20本の腕ながらも、うねうねと出ている腕は、それぞれにいろいろな表情をもっている。そしてその彫りの美しさ、精緻さが素晴らしい。まるで人肌を感じさせるほどに肌理の細やかさが伝わってくる。これは材料にもよるのだろうか?木の色がやや赤っぽいところも特徴的だ。

表情は正直なところそんなに好みな顔ではないのだが、和風の面長であり、写真で見るよりも実物の方がはるかに美しく端正だと感じる。髪型は宝菩提院願徳寺・伝如意輪観音像の影響も見られるといい、天冠にからみつき非常に複雑だ。そして目の彫りの鋭さ、彫りの”際”の処理の美しさは目が離せなくなるほどのものがある。

肥後定慶作ではないかもしれないが、他の五体も相当に素晴らしい。定慶本人ではなかったとしても、一門の作ではあるのだろう。

如意輪観音像
(如意輪観音坐像「ぐっとくる!仏像」より)

 

立像の衣紋は、それまでの時代に造形されてきた観音像とも大きく違って複雑である。これはいずれも宋風の影響を受けているという。やや大げさなようにも映るが、ただ複雑なだけではなく、衣の折り重なる様は美しく比類がない。南円堂四天王像を拝観して以来、宋風というものに興味が出てきているが、今回こちらの六観音に会えてますます知りたいと思うようになった。先日の東京都八王子市の浄福寺千手観音像も宋風が見て取れる造形でありとても美しかったが、やはり大報恩寺像の方が圧倒的に素晴らしいのはさすがの格の違いであろうか。

准胝観音
(准胝観音立像「ぐっとくる!仏像」より)

 

定慶という名の仏師は過去に何人もいたようだが、とりわけ2人の定慶が有名である。興福寺東金堂の維摩居士などが有名で、運慶の父・康慶の弟子だったらしき定慶と、もう少し時代が下る時期に、この准胝観音や鞍馬寺聖観音で有名な定慶との2人である。後者は区別するために肥後別当定慶または肥後定慶と称されることが多いが、現在では、肥後定慶は運慶の次男・康運が改名したという説が有力であるという。ということは、湛慶の実弟、ということになる。運慶のDNAをしっかり受け継ぎつつ、新しい表現をここまでのものにするそのパワーには圧倒される。

 

六観音とちょうど対面するように、快慶一門作の十大弟子(鎌倉時代・重要文化財)がズラリと並ぶ。

像高1m弱ということで少し小ぶりな像である。仏ではなく尊像であることからしても、興福寺像のように等身大の方がよりリアルではあるものの、十体並べることを考えるとほどよいなぁ、という感じもする。快慶作の阿弥陀如来立像は「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれるが、この大きさは決まって三尺程度であり、こちらの十大弟子も同じくらいのサイズということになる。像内銘から1218年〜1220年にかけて快慶一門による制作であることがわかっており、そのうち、目犍連の足枘及び優婆離像内に「巧匠法眼快慶」の銘があるということで、この2体が快慶自身による作のようだ。

十大弟子
(「ぐっとくる!仏像」より)
十大弟子2
(「ぐっとくる!仏像」より)

 

自分としては、須菩提の造形、富楼那の流し目、阿那律阿難陀の衣紋の流れるような造形に惹かれた。

 

六観音と十大弟子との間にどかっと腰を下ろして、キーンと耳が痛くなるほどの静寂の中で、たった一人でひたすらこの16体の仏像を拝観できる、というのはとてつもない贅沢だった。他にも千手観音立像(平安時代)誕生釈迦仏(鎌倉時代)など、見所満載の霊宝殿であった。

 

翌日朝、9時からということで朝イチで再び大報恩寺へ。昨日までは人っ子一人いない寂しい雰囲気だったのだが、この日は土曜ということと、今日から始まる京都・春の特別拝観のためか、朝から人がたくさんいた。

この特別公開は京都古文化保存協会というところが主催しているイベントのためなのか、その協会の方が出張してきて専用のテントで受付をしていた。

本堂に入ると、すでに十数名の方が外陣に座って、スーツを着た保存協会の若い男性の説明を聞いていた。

 

釈迦如来坐像(鎌倉時代)行快作 ヒノキ材寄木造 玉眼 像高90cm 国指定重要文化財

釈迦如来坐像
(学研ムック「神仏のかたち4 釈迦如来」より)

 

普段は秘仏で、年数回の法要や行事の際にのみ開帳されるという大報恩寺のご本尊である。遠くて暗いという話を聞いていたのだが、ちょうど朝日新聞の記者が取材と撮影を行っていて、フラッシュライトで明るくなり表情がよくわかる。玉眼の白目の部分が際立って白いのが印象的だった。

双眼鏡でじっくり拝観する。一言でいうと、かなりの男前だな、という感じである。金箔は貼り直しているのだろうが、そうした後世の補修に影響されることなく、造形の素晴らしさがしっかり伝わってくる。とにかく、カッコイイ。

行快は快慶の一番弟子で、後継者であったと考えられている。真作として確認がとれている仏像は少ないが、近年、金剛寺(大阪府)の不動明王坐像が行快作であることが判明したりと(作風から、降三世明王坐像もそうであると見られている)、運慶仏と同じく今後も発見があると思われる。

この像の造立に関してはいろいろな謎や説があるようで、せきどよしおさんのブログに詳しい。

 

最後に霊宝殿をもう一度拝観してから大報恩寺を後にした。一大慶派ワールドに大いに感動した。またぜひ訪れたい。

 

※この時取材が入っていた新聞はこちら

新聞記事
(2014年4月26日 朝日新聞近畿版 夕刊)

 

【瑞応山 大報恩寺(千本釈迦堂)

〒602-8319 京都府京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町1034
TEL:075-461-5973
拝観料:600円(特別拝観期間中は800円)
拝観時間:9:00〜17:00
釈迦如来開扉:8/8〜数日(六道まいり)など年数回開扉 ※情報が一定ではないのでお寺に確認してください
アクセス:JR京都駅から 市バス「50」(立命館大学前行)上七軒下車など
駐車場:10台ほど止められる駐車場が境内にある(無料)お寺の西側から入る