※すべての画像は本特別展監修者より提供を受け、掲載の許可をいただいています。(転載、複製は禁止です)
特別展公式サイト(監修者、学芸員のブログもご覧いただけます)
http://www.tamabi.ac.jp/museum/inorinomichihe/
さて、最後に(中央の映像装置に向かって)右の部屋Cへと入っていこう。
この部屋は今回の特別展のメインとも言える会場であり、とりわけ濃密な空間になっている。
入って最初に惹きつけられたのがこちらである。
豊楽寺 天部形立像(A) 像高121.5cm 平安時代
豊楽寺 天部形立像(B) 像高118.5cm 平安時代
豊楽寺(ぶらくじ)は定福寺と同じく大豊町にある。定福寺と同じく吉野川沿いに位置しており、街道筋といことになるであろうか。寺伝では聖武天皇の勅願で行基が開基したといい、かなりの大寺院であったようだ。
豊楽寺の本尊は国指定重要文化財の薬師如来であるが、その本堂に安置されているのがこの天部形立像である。これとほとんど同寸の像があと2体あるそうで、ともに造立されたというから、四天王であったのだろうか。
B像ではより体をくねらせるような動きを感じる。右足に彫刻面がよく残っており、荒々しい力強い彫りの像であったことがわかる。
何と言ってもその繊細なまでの木の繊維とも言える木目が非常に印象的で、ラインアートのような感じで微妙な凹凸から表情がほのかに感じられる。よくぞこんな状態の像を東京まで運んできたものだと思う。相当に荒れてはいるものの、体躯は非常に堂々としており、足元には岩座なのか邪鬼なのか、何かを踏んでおり、これも一木で作られているのがわかる。四天王であれば儀軌的には邪鬼であろうが、見たところは岩座に見えるし、よくわからない。他にも2体あるということなら四天王の可能性もあるのだろうか。となると、邪鬼であったということになるだろうか。
今回は斜め後ろから間近で拝観もできる。特にA像は甲冑の裾が長いため、何とも流麗な後ろ姿となっている。
法喜院 名留川観音堂古仏群 菩薩形立像一号像 (平安時代) 像高78.5cm
名留川(なるかわ)観音堂は高知県東端の東洋町にある。ここで行われた「高知県地域文化遺産共同調査・活用事業プロジェクト」の調査によって発見されたものという。大小様々な像が狭いお堂の中に山のようになっていたそうで、これは廃仏毀釈から避難させたと考えられているそうだ。
私が初めてこの一号像に会ったのは搬入時なのだが、後述の笹野大日堂の大日如来の脇に、まだ箱から出されたばかりでごろりと横たわっていたこの仏像には、どこかで会ったことがあるように感じられて仕方がない表情だった。実際には、紀伊水道を挟んだ対岸の和歌山県の有田川沿いにある法音寺十一面観音像との共通点が見いだされるそうで、私はそちらは噂に聞く程度なので、どこかで会ったというのは勘違いなのであるが、しかし不思議とそう感じさせるものがある仏像で、会場の端に横たえてあるだけなのだが、強烈に惹きつけられた。
法喜院 名留川観音堂古仏群 二号像(平安時代) 像高122.0cm
この像は、名留川の集落にかつてあったという池山寺の本尊と考えられるそうである。何と言ってもその堂々とした体躯は見事である。腰前から両足先にかけての衣文はあまり見たことがない造形だが、とても美しい。ほっそりとしてまっすぐな両足下部だけを見ると、東高尾観音寺(鳥取県)の大きな千手観音像を彷彿とさせるようなすっきりとした直線美を感じる。
この像の注目点は2点あり、1つは顔の両側にある何かをはめこんでいたと思われる部分である。これは下記の歓喜寺如来像のように耳部分を別材としたのかと思われたそうだが、実は違うことがわかったという。ここには実は大きめの左右それぞれ1つずつの顔がはめこまれていたのではないか、ということなのである。それは、もう1つの注目点でもあるのだが、背中に大きな方形の穴が空いていることからわかるという。これは像内物を入れるためではなく、千手観音像の手をとりつけるための穴であったらしいのである。つまりこの像は三面の千手観音であった、ということなのだ。
この三面千手観音は他には、補陀洛山寺(和歌山県那智)、妙楽寺(福井県)、正法寺(京都府)のものなどが知られているが、いずれも補陀洛信仰に関わるものとして考えられるそうだ。この像が本尊であった寺院も補陀洛信仰の寺院であったのだろうか。事実は今後明かされていくのだろうが、興味の尽きない話である。
上郷阿弥陀堂 阿弥陀如来坐像(鎌倉時代) 像高69.0cm 高知県指定文化財
上郷阿弥陀堂は、高知市から西へ20キロほど入ったところにある佐川町にある。松尾八幡社別当新福寺の本尊像であったという。
凜々しい切れ目、端正な顔立ち、一目で慶派仏だな、と感じさせる仏像である。この像はその表情や螺髪の見事な彫り出しもさることながら、やはり衣文の造形の素晴らしさには目を瞠る。ちょっとだけ出した左足がなかなか良い。
背面の衣文の美しさも素晴らしく、左肩にかけられた衣の処理も美しい。衣文に浮かび上がるおしりがリアルでもあり、何だかかわいい。
歓喜寺 如来形立像(平安時代) 像高82.5cm 室戸市指定文化財
かなり荒れている像であり、左半身が見事に断ち割られるようになっているのだが、表情には思わず見入ってしまう魅力がある。ちょっと分厚い唇と団子鼻だが、とても優しく、深い瞑想を感じさせる。
頭の螺髪も割れたりすり切れたりしているが、並びはとてもきれいだ。頭部と肉髻との差があまりないというべきか、肉髻が大きいというべきか、全体が大きな頭に見えなくもない。
後ろに回ると、背面部はなく、内繰りがしっかり見える状態だ。この像は体部背面は寄木造、頭体部前面材は一木造という珍しい構造をしているらしい。右肩の衣の部分が何だか鉈彫のようになっている。
もう一つ、目を引くのが耳である。この像には耳がない。ちょうどパーツが外れたように見えるのだが、これは別材でつけていたということである。あまり見たことがなかったが、土佐の仏像は耳の部分を別材にすることがよくあるそうである。
椎名観音堂 十一面観音立像(平安時代)像高104.8cm 高知県指定文化財
椎名観音堂は室戸岬から四国の東岸を8キロほど北上した椎名という小集落にあるという。もともとは四国霊場24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)の末寺であったという常楽院という寺院にあったようだ。
素朴な雰囲気と表情、木のもつ風合いの良さなど、ひと目で引き込まれる雰囲気をもっている。彩色は後世のものだというが、その微妙な色の残り方がまた独特な良さを醸し出しているように感じる。
また、板光背というのもあり、何となくではあるが、室生寺の像を彷彿とさせるものがある。
眼が彫刻刀でスッと彫っただけのように細く、眉の下の彫りは浅く見えるが、眼球の膨らみが印象的である。鼻の先が修復されているが、表情は全体として柔らかく優しい。
頭上面も同木で掘り出されているそうで、表情は土佐人の顔だという。憤怒相が何ともかわいい。
何とも見とれてしまう素晴らしい像だと感じた。
笹野大日堂 大日如来坐像(鎌倉時代) 像高49.4cm 高知県指定文化財
最後にご紹介するのが、今回の特別展のメインとも言えるこの大日如来坐像である。
笹野大日堂は高知市から西へ40kmほどのところにある須崎市山中の上分地区にある。もともとはその近くの伊才野にあったという蓮華寺にあったことがわかっているそうだ。
写真で見ていた時は大きな像なのかと思っていたが、予想に反して小さい。良い仏像というのは、小さいものでも写真に写すと大きく見えるというが、まさにその通りだな、と思う。
一目見て、これは運慶では?と思ってしまった。運慶作と判明している真如苑が落札した像や光得寺像に共通するものを感じてしまう。大きさは両像よりは少し小さめのようだが、似ているという印象だ。
実際には造形の違いがあるそうで、湛慶工房の作と予想されるそうだ。青木先生の話では、湛慶は鼻の穴をしっかり造形するとのことであるが、この大日如来も下から見ると、確かに鼻の穴がちゃんと作られている。
木彫であり、本来はあったと思われる彩色もほとんど剥落しているというのに、なぜか人の肌の風合いをしっかりと感じさせるものがある。それほどまでに彫りが素晴らしいということなのだろう。
脚部の衣紋の表現はまるで布の柔らかさを感じさせる。
今回の特別展では斜め後ろからも拝観できるのだが、この像は背面も非常に美しい。
慶派の仏像には「錐点(きりてん)」という特徴があるのだそうだ。ポイントとなる部分に錐で小さな穴がつけられており、それを基準に造形が行われることで特徴を引き継ぐことができるものなのだそうだ。その「錐点」がこの大日如来にも随所に遺されている。
また、像を裏返して見せていただいたのだが、運慶以降の工房で、運慶に近い時代の造形としては一般的な、像底をくりあげ、胴体部分を棚状に彫り残し、胴体内部の空間を独立密閉出来るようにする、という特徴的な造形になっていた。
土佐は、雪蹊寺の湛慶仏を初めとして慶派仏が多く入っていることからして、慶派とのつながりが深いと見られているそうだ。この像も間違いなく慶派の仏像であろう。
パッと見でも非常に美しく一気に惹きつけられる仏像だが、見れば見るほど味わいが深く、いい仏像だなぁと思う。
この仏像、青木先生が発見した時はバラバラだったそうだ。しばらく伏せていたそうだが、ちゃんと安全が確保されたところで公表され、修理を受けたのだそうだ。盗難されたり、変に価格がついて高騰して先に買い上げられてしまったりしないような最大限の配慮をして、現在は安全な新しいお堂が建築され、もともとのお寺と地域で守られているという。
仏像、お遍路の祈りと風土、さまざまな土佐の良さを存分に感じさせてくれる特別展であった。残り期間はあと1週間ほど。まだの方はぜひご覧になることをお勧めしたい。
【四国霊場開創1200年記念 祈りの道へ—四国遍路と土佐のほとけ—】
会期:2014年11月22日(土)〜2015年1月18日(日)
会場:多摩美術大学美術館(多摩センター)
入場料:300円
主催:多摩美術大学美術館/共催:高知県立埋蔵文化財センター/後援:四国八十八ヶ所霊場会、四国八十八ヶ所霊場会土佐部会、高知県仏教界、高知県仏教青年会、高知県、高知県教育委員会、高知新聞社、RKC高知放送/協力:高知県立歴史民俗資料館、おへんろ交流サロン、合同会社ベータ
監修:青木淳(多摩美術大学准教授)
http://www.tamabi.ac.jp/museum/inorinomichihe/
【多摩美術大学美術館(たまびじゅつだいがくびじゅつかん)】
〒206-0033 東京都多摩市落合1-33-1
TEL:042-357-1251
アクセス:京王相模原線・小田急多摩線・多摩モノレール 多摩センター駅より徒歩7分
駐車場:なし(多摩センター周辺の有料駐車場を利用 東1駐車場が最も近い 利用者割引きなし)
[mappress mapid=”73″]
コメント
コメント一覧 (2件)
朽ちて形の崩れた破損仏でも、信仰の対象であり続けて後世まで伝えられていることですが、今月11日に京都の東山界隈界隈で六波羅蜜寺や文化財の特別公開のある六道珍皇寺などを巡った際に京都国立博物館にも入りましたが、京博での鰐淵寺の仏像展示でも、天部らしい破損仏が目に付き、それがかなり印象に残りました。
田舎の集落の小さなお堂に、洗練された慶派仏が安置されるのは不思議な感じで、地元の方などには失礼で申し訳ないことを申し上げますが、『掃き溜めに鶴』の感があります。どのような経緯でそこに行き着いて、安置されるようになったのかという疑問はあります。一方で、そのような所でも仏像が守られてきたことで、地元の方には敬意を感じます。
慶派と思われる大日如来像ですが、その仏像が買い取られたり盗難を受けたりしないように青木先生が配慮してくださり、これ程見事に修復され生き生きとした姿となっているのは、大日様を受け継いで守ってきた地元の方の誇りにもなり、本当に素晴らしいことだと思います。
話は変わりますが、奈良の福智院はつい最近他の方のブログでコメントを申し上げてその方のお返事のコメントで知り、鳥取の地蔵院も同じ方のブログ記事で知りましたが、どちらの丈六の地蔵菩薩像にもいずれお会いしたいと思っています。
>大ドラさま
いつもご覧いただきましてありがとうございます。
本当にその通りですよね。破損仏というのは、その仏像が経験してきた来し方であるとか、その状態になりながらも守られて伝えられてきていること、場所によっては子どもたちのおもちゃとして扱われたり、今展覧会のように抱き仏のようになっていたりと、とりわけ、歴史と人々の思いがつまっていると感じさせられます。破損していなければ、と思うこともよくありますが、きっと今の姿こそがその仏像の持つ運命であり、これがこの仏像の本当の姿なのだろうな、と感じながら、いろいろなことを考えつつ接することが多いです。
大日如来は破損していたから盗難にも遭わずに来たとも言えますので、何とも複雑な心境ではありますが、こうして再び、村の人々を結びつける存在になったというのは青木先生のご尽力は素晴らしいことだな、と思います。
福智院は圧倒される雰囲気を持っていますね。お堂の雰囲気もとても良かったです。あちらは奈良町にありますので比較的行きやすいですが、大滝山地蔵院はなかなか大変なところにありました。車があれば倉吉の町からは30分ほどでした。そんな場所にあんな堂々たる地蔵菩薩がいらっしゃるというのも驚きです。ぜひいらしてみてくださいませ。