可児郷土歴史館(岐阜県可児市)— 優美な大日如来坐像

素晴らしき仏像ワールドであった円明寺を辞して、すぐ近くにある可児市郷土資料館へと移動する。円明寺があまりにも充実していて2時間も長滞在してしまったことで、ギリギリセーフの時間になってしまった。

駐車場には1台も止まっていない。いや2台ほど、若い子たちがオーディオを大音響で車中で聞いている車が停まっている程度だ。

可児郷土歴史館

資料館は古い建物で、中はよくあるパターンの展示であるものの、全体的にガラスケースが主体の展示であった。考古学分野から展示がされているが、奥には特別展示ができるスペースもある。この久々利の一帯は、美濃焼の陶芸作家・荒川豊蔵で有名なこともあり、陶芸の展示もされている。

作家についてメモを取り忘れたが、こちらの志野焼らしき香炉がなかなか良かった。

志野焼香炉

 

郷土資料が並ぶ一角に3体の仏像が並んでいる。

三体の仏像

 

無量寺 大日如来坐像(藤原時代) 寄木造 彫眼 像高(髪際)66.5cm 県指定文化財

大日如来坐像 全体

可児市の仏像では最もよく知られている。ひと目でとても優美な像であることがわかる。智拳印を結んだ金剛界大日如来で、宝冠はとれてしまったのか現在はかぶっていない。

腕も細くスマートで、大日如来らしい造形である。腕先や宝髻などは後補だという。

大日如来坐像 斜め前から

結跏趺坐がとてもきれいに造形されており、その周囲に水紋のように広がる膝の衣紋がまた美しい。そしてそこから流れ出るような中央の衣紋のはらいは襞もきれいで見事なバランスである。

大日如来 結跏趺坐

口の形が特徴的だと感じる。閉じた口であるが、やや小さめで、口角をキュッと絞っているような感じに見える。

大日如来近影

子どもの頃、口角を吸うようにして鳥のくちばしの物まねをよくしたものだが、あれのちょっと緩いバージョンのようだ。そのためか、下から見上げるとまるでちょっと笑っているように見えるのが不思議だ。

大日如来 見上げ

 

矢戸横市薬師堂 薬師如来坐像(藤原時代) 一木造内刳 像高55.0cm 市指定文化財

薬師如来坐像全体

修復時と思われる後世の彩色が入っていて本来の造形がよくわからないが、おそらく破損はかなりのものであったことは推測できる。衣や衣紋の造形は分厚く、地方仏らしい雰囲気が漂っている。

薬師如来 近影

右腕と左手が後補であることはハッキリわかるが、頭はどうなのか今ひとつよくわからない。ただ、バランスからするとちょっと大きいように思うので、本来像は体部のみかもしれない。少しだけ紅をさした優しい雰囲気の薬師如来である。

 

大日如来坐像(室町時代 天文12年(1543年)) 銅像 像高24.0cm 市指定文化財

銅像大日如来坐像全体

可児市今渡の金屋という地で制作されたもので、富士山頂直下の道沿いに、1624年(寛永元年)制作の銅像大日如来および1490年(延徳2年)制作の鉄造大日如来とともに並べられて崇拝されていたという。「富士山真景之図」にも見えるらしい。廃仏毀釈の折に投げ捨てられ、賽の河原で発見された時にはすでに首がない状態で、その後、御殿場市の東岳院に安置され、2006年(平成18年)に可児市に寄贈され、里帰りをした、というものだそうだ。

この仏像は銅像で、かつ首がない、ということのインパクトがかなり強いが、それよりもよく見ると、左右の腕と膝に刻印銘があるのがハッキリとわかる。こうした形で刻印を遺すというのはあまり見たことがないが、そこには、天文12年5月16日に、美濃可児郡下荏戸之郷金屋村の九郎二郎と石蔵が願主となって作られた、と書かれている。

銅像大日如来坐像 銘文

崇敬を集めながらも理不尽に破壊されうち捨てられたものが、巡り巡って可児に戻ってきたというのは何とも縁深き話である。長い間お疲れ様、と言いたくなってしまう仏像であった。作られた地を安住の地として、今後もこの地で守られていくことを祈りたい。

 

【参考文献】『可児の仏像』(可児市の文化財第11集)

 

可児郷土歴史館(かにきょうどれきしかん)

〒509-0224 岐阜県可児市久々利1644-1
TEL:0574-64-0211
休館日:月曜日および祝日の翌日
開館時間:9:00〜16:30
入館料:200円
アクセス:JR太多線可児駅あるいは名鉄広見線新可児駅より「電話で予約バス」かタクシーを利用
駐車場:広い駐車場が館の前にあり(無料)

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大日如来 斜め前から

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