山梨県には素晴らしい仏像がたくさんあるが、山梨の文化財の仏像は、ご開帳日を春に設定しているお寺が多いというイメージがある。今回は毎年3月最終日曜日にご開帳される山梨市牧丘町の普門寺を訪れた。
発達した低気圧と前線が列島通過中ということで雨模様であったが、往路は弱い雨。しかし中央道の笹子トンネルを越えて甲府盆地へと降る頃にはかなり強い雨脚となった。
勝沼インターで降りて北へと向かう。途中、恵林寺や放光寺の近くを通るため、久しぶりに訪れたいとも思ったが、夕方から予定もあるために普門寺だけにするつもりである。中央道の渋滞は凄まじいため、それに嵌らない内に帰りたいというのもある。
勝沼からは放光寺までもゆるゆるとひたすら上り続ける甲府盆地らしい道であるが、そこを過ぎる辺りから一気に山へと登っていく感じになる。そのまま行くと雁坂峠を越えて秩父へと降っていく道だが、行く手に牧丘トンネルが見えてきたところで左折して西へと向かう。
牧丘町は巨峰の生産日本一の地としてよく知られている。南北を峰々にはさまれた谷のような所であるが、舌状に張り出した大地がかなり起伏に富んだ地形を作り上げているため、坂道はかなり急である。
ぐんぐんと上り、南に谷の底をはるかに見晴るかすあたりで、路肩にたくさんの車が止まっている場所へやってきた。
ここが普門寺への上り口である。普段はここから細い道をさらにもう一段上って境内に駐車できるのだが、開帳法要やもち投げなどの行われるこの日は駐められないということを事前に問い合わせた際に聞いていた。
雨に打たれる石造観音像と、薬師如来の存在を記した看板。ここから石段を登る。
石段もなかなか風情がある。行く手に建物と青いシートのようなものが見える。
ツバキはちょうど花が落ち始める時期のようであった。濡れた石段に落ち椿。
振り返ると牧丘の巨峰畑が広がっている。
石段を登り切ると、白い六角堂のような小さな収蔵庫と、その前にはブルーシートを広げた雨よけが張られている。晴天時の開帳法要の様子だとこのブルーシートを下に敷いてイスを並べているようであったが、雨なのでこうしたのだろう。今回はここで開帳法要やもち投げをしたのだろうか。今は皆さん本堂に上がって総会をされているようで、お堂の中から声が聞こえる。
さて収蔵庫へ、と思ったが、入口に三脚を立てたご年配の男性が陣取って撮影しており、全く中が見えない状態で占拠していた。マスコミの人かなぁ、と思ったが、カメラはミラーレスかコンデジのようで、雰囲気からして明らかに違う。私が待っているのには石段を上がりきったところですでに気づいていたのだがひたすら撮影している。お堂の中に三脚を立てて撮ったりもしている。待っていたが10分経ってもそのままなので、無理くり横からのぞき込むようにしたらやっと撮影をやめてスペースを空けてくれたので拝観できた。待たされたことはまだしも、何にしてもお堂に三脚を立てるのは良くないと思われる。しかし気づかないところで自分もこうして大きな迷惑を他人にかけていることもあるかもしれないと肝に銘じた。
(お寺の方に連絡していた者であることを告げ、撮影の許可をいただいた)
薬師如来坐像(藤原時代)サクラ材一木造 像高78.8cm 山梨県指定文化財
お堂の中に照明はなく、雨ということで外からの光ではやや暗いものの、何とか拝観できた。
普門寺は、源義光の孫である安田義定がこのお寺の背後にある小田野山に砦を築いた後、その麓に建久年間(1190〜1198年)に開基したのだという。その際に近隣にあった陀羅尼寺から移されたのがこちらの薬師如来であるそうだ。サクラ材の一木造で、背面に背刳りを入れる古式の方法で造られているとのこと。
初見としては、つるっとしたお薬師さんだな、ということであった。胸板は厚そうだがなで肩、頭部から肉髻への境目がはっきりとしていない状態で、肉髻はとがるように高くそびえているために頭部はかなり面長に見える。そして衣紋の造形がかなり薄いため、全体を見ると卵のようなつるっとした感じに見えるのだろう。体部に比べて足の衣紋は立体的だが、手先、薬壺、足などは後補ということなので、当初像はさらに薄いつるっとした感じだったのだろう。
口がおちょぼ口のような感じで、横から見ると少し突き出しているようにも見える造形で、正面から見るのとは大きくイメージが違う。螺髪は彫り出して造られており、ごつごつとしたイメージ。
偏担右肩の衲衣の右肩のかかり方が大きいところもややアンバランスで、顔は正面から見ると鼻や口がまっすぐにきれいに収まるという状態とは違ってどちらかというと歪んでいたりもする。木材の使い方なのか、修理を繰り返したりしている内にそうなったのか、あるいはこの辺りのアンバランスさに地方仏らしさが出ているのかもしれない。頭部だけ色が違うので材質が違うかのようにも見えるが、これは補修を受けたためなのだろうか。
さて、この薬師如来の目である。こちらの像は目を深く閉じているように見える。見えたのだ。が、写真をよく見てみると、どうやら左目はかなり大きく開いているようなのだ。大きな瞳も入っているようにも見える。右目はいまひとつわからない状態だが、左目はそう見える。そうなると全く造形そのものが変わって見えてくる。目が開いているとすると、神護寺の薬師如来像のように凜々しくも厳しい表情にも見える。
しかしこれは果たしてどうなのだろうか?後世に描きこまれたものなのか、木の色合いでそう見えるだけなのか…。ただ、よく見ると、目と思われる部分は描かれているだけではなく、かなり薄くではあるものの彫られているのがわかる。しかし横顔からするとそれを意図して彫られているとも感じない雰囲気である。アップで見るとやや修理が入ったようにも見えなくもない。造形を含めて後世に造られたのか、それとももともとそう造られていたのだろうか。
昨年5月に訪れた50年に一度の開帳であった立石寺(山寺)のご開帳。ご本尊の薬師如来坐像は目がクッキリとしているのだが、過去には目がクッキリしすぎているために木屑漆を盛って半眼にしていたことがあるそうだ。それを50年前の開帳の際に取り除いたことをお坊さんに聞いたことはエントリにも書いたが、こちらの普門寺の仏像も薬師如来である。新薬師寺(奈良県)の薬師如来のあのどんぐり眼と言えるほどの目といい、薬師如来には目というものの造形に特別なものがあるとしたら、こちらの薬師如来もひょっとするとこうした造形であったりもするのだろうか…。なかなか謎の多い仏像である。
小さな六角形の収蔵庫を兼ねたお堂であるが、薬師如来の向かって左隣にもう1体の仏像が厨子の中に安置されている。
地蔵菩薩立像(藤原時代)サクラ材一木造 像高86.2cm 山梨市指定文化財
おなかがぽっこりして、顔は丸顔で何だかかわいい感じもするが、すらりとしてきれいだ。薬師如来と同じく衣紋の彫りがかなり薄く、錫杖を持っていたと思われる右腕から垂れ下がる衣紋が不思議な造形だ。
厨子に入っているため見えないが、背面は木を切り取ったままの面を遺した状態になっているそうで、霊木信仰や神仏習合に関わるような像なのだろう。
暗いために今ひとつよくわからない部分もあるが、顔の作りは唇の造形などを見ても薬師如来像と通じるものがある。説明板を見ると、やはり同時代に同じ工房なり仏師によって造られたと考えられているようだ。さらに、これはアップでも今ひとつわからないのではあるが、やはり目を開いているように造形されているように見えなくもない。もしそうだとすると、先ほどの、薬師如来=目を開いている?、ということではないのかもしれないし、どちらも後世にそう造形されたのかもしれない。いずれにしても謎だ。
先日の方外院の如意輪観音も謎多き仏像であったが、山梨の仏像は謎が多いのだろうか?
お堂を出ると、雨はまだまだかなり降り続いている。
先ほどお話させていただいたお寺の方(ご住職の奥様?)がいらっしゃって、「東京まで帰るの嵐で大変だねぇ。これ、良かったら持って行きなさい」と、紅白餅とおいなりさんが6つ入ったお弁当を下さった。ジューシーおいなりさん、本当に美味しかった。
【妙高山 普門寺(ふもんじ)】
〒404-0004 山梨県山梨市牧丘町西保下3631
TEL:0553-35-2568
開帳:毎年3月最終日曜日のみ開帳
開帳時間:11:00より法要と餅投げ、その後14:00くらいまで
拝観料:志納(特に定めはなかった)
アクセス:山梨市駅より山梨市の市営バス西沢渓谷線で「窪平」で乗り換え、牧丘循環線で「城下」または「小田野」下車
駐車場:普段はフルーツラインから細い道路を上ったところから境内に入り数台駐められるが、開帳日は駐車不可
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