多摩地区は戦災などの影響が都心に比べると少なかったことで、多くの仏像が遺っているのだが、八王子市街には空襲があり街は焼けてしまっている。しかし、市街地にある2つの寺院の2体の歴史ある仏像が何とか遺っていることはとても貴重なことである。
1体は以前のエントリでも紹介した真長寺の白鳳仏(現・八王子市郷土資料館委託)であり、もう1体が今回ご紹介する極楽寺の阿弥陀如来立像である。
極楽寺は八王子の市街地にあるが、駅からは北へ少し離れている。国道16号線が浅川を渡る橋のすぐ南のたもとにあり、広い境内を有する寺院である。以前に訪れた時はお留守のようで拝観できなかったので、今回は事前に連絡して訪れた。
本堂の正面には徳川の葵の紋があしらわれている。
ちょうど檀家さんご一家と同じタイミングになってしまったが、時間があるのでゆっくりと待ち、しばらくすると広い本堂の中には私1人になった。
内陣はきらびやかな装飾がされていたり、外陣との仕切りにあたる欄間には龍の透かし彫りがされていたり、なかなか立派でゴージャスな空間である。その一番奥の厨子に黒い如来の姿が見えた。
阿弥陀如来立像(室町時代) 寄木造 玉眼 像高約100cm 八王子市指定文化財
肉眼では遠すぎてよくわからないが、双眼鏡で見たり、撮影の許可を得てズームで撮ってみると、なかなか整った表情をしている。
頭が四角いのが像の特徴としては上げられるだろうか。ただ、この螺髪はよく見ると1つずつ取り付けたものではなさそうだ。別材でかぶせたのだろうか。
顔はふくよかな頬が印象的ながら四角ばった感じだ。口が小さい。
衣紋は細かく、襞も多く作られている。通肩だが、前側に余った衣を折り返しているような造形になっている。全体としてはやや大げさにも見えるが、とても美しい。
胸板、肩から腕のあたりや、体全体の造形が全体的にやや固いというか、形式的になっている感は見て取れるものの、よくまとまっており、なかなかキレイな阿弥陀如来である。
そのようになかなか見応えのあるいい仏像であるが、実はこの仏像は、他のとあることで知られている。双眼鏡で見てもマッタク見えないのだが、光を少し当ててみると…。
ニカッ。
わかるだろうか?歯が作られている歯吹きの阿弥陀如来なのである。これは来迎の際に微笑んでいる様子を表していると言われている。
歯吹き像はいろいろなところにあるが、こちらの像は知らなければそれとは全く気づかないだろう。私も本で見ていなかったら全く知らなかった。おそらく近くで見てもよく見えないと思われるが、なかなか奥ゆかしい表現である。
脇侍の二菩薩は、かなり前のめりの来迎レッツゴーな状態である。
内陣に向かって左の間には大きな地蔵菩薩の仏頭が祀られている。こちらはどういう由来かはわからなかったが、なかなかの迫力だった。
その左側には、新しいと思われる玉眼きらめく天部の三尊像がいた。何の像だろうか。毘沙門天?
堂内はかなり広く、とにかく静かである。そうした中でゆっくり何も考えずに阿弥陀如来に見つめられて1人佇んでいるのは何とも心地のいい時間であった。
阿弥陀堂でたっぷりと来迎時間を満喫して本堂の外に出ると、うららかな春の日差しが降り注いでいる。 境内は広く、緑も多い。
八王子という名称はもともとは北条氏照が守っていた八王子城からきているが(城に牛頭天王の八人の王子の像をまつったことから八王子城と名付けられた)、城は山城で、現在の市街地からは遠く西に離れている。今の八王子市街地は城下町ではなく、甲州街道の宿場町であった。北条氏照の家臣であったという長田作左衛門(おさだ・さくざえもん)が、八王子城落城後は前田利家に仕え、甲州街道に横山宿を開いた。これが現在の八王子市街地の元になっているのである。
その作左衛門の供養塔が境内に遺されている。
作左衛門供養塔の前の桜がきれいだ。
石仏や石碑がたくさんある。こちらの石仏は元禄年間のもののようだ。
庭の美しさを抜けて、その先に西を向いて微笑んだ阿弥陀如来の来迎。本当は東西逆だと思うが、その点は過去の経緯がいろいろあるのかもしれない。もともとは現在地より北東側の山里にあった滝山城下にあり、その後八王子城の城下町に移転、落城後は長田作左右衛門の作ったこの地に移転と、あちこち転々としているのもあるだろう。
すぐ西側を走る16号線のこの辺りは渋滞の名所であるが、そんなことは全く感じさせないようなオアシスのような境内であった。
【寶樹山 極楽寺(ごくらくじ)】
〒192-0062 東京都八王子市大横町7-1
TEL:042-622-3609
拝観:寺務所に申し出る(事前予約をした方が確実である)
拝観料:志納
アクセス:八王子駅より徒歩20分
駐車場:南側の門の脇に10台くらいは止められる駐車場がある(無料)
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