人気仏像ブログ「然るを訊く」の中の人としても知られる”地方仏ソムリエ“ことyo_kkunプロデュースによる「春の秘仏ツアー」に参加した。
前回、今年1月の都区内のツアーにも参加したが、普段はなかなか拝観できない仏像にも会えること、新しい仲間と知り合えることなど、非常に充実したものであったことから、今回も情報が出てすぐに参加表明していた。
数多くの仏像ブロガーたちがこのときの様子をエントリにアップしているため、そちらもご覧いただきつつ(下記参照)、ここでは私の視点でのツアーの簡単なまとめをしていきたいと思う。
◯このツアーの様子を取り上げた仏像ブロガーたちのブログなど
・ストイックに仏像(momococksさん)
・念彼観音力(tigers_cafeさん)
・ひたすら仏像拝観(迦楼馬さん)
・当日のtogetter
総勢74名という、ものすごい規模で、普通であれば貸し切りバスでもなければ挙行は不可能、という感じであるが、参加者の出身地や関係する地域で10名〜20名のチームに分けて行動することになった。私は愛知県出身なので「東海道五十三次チーム」であった。
川崎市の武蔵小杉駅前に集合し、まずはバスで能満寺へと移動。
【1】能満寺(のうまんじ) 川崎市高津区千年354
一つ目に訪れた能満寺は行基が開基したという伝説の残る古刹である。本尊の虚空蔵菩薩(秘仏)と、今回12年ぶりのご開帳となっている聖観音菩薩立像が著名であるという。
聖観音菩薩立像(弘仁時代)カヤ材一木造 像高101.3cm 市重要歴史記念物
体はどっぷり量感があり、翻波式衣紋が条帛に見られる(裾の衣紋は翻波式ではない)ことなど、当初像は平安前期の終わり頃という説はうなずける。しかし頭部のバランスがおかしい。体部に比して小さすぎ、位置としても変だ。これは江戸時代に面部の修復を行い、小ぶりになってしまったためだという。玉眼もその時に嵌めこまれたようだ。
バランスはちょっと残念だが、表情は精悍でとてもいい。鎌倉時代風な顔である。
【2】影向寺(ようごうじ) 川崎市宮前区野川419
能満寺から急な坂を歩いて数分のところにある影向寺。過去に2度ほど、開帳のある正月に訪れたことがあるので初めてではないが、今回はご住職の法話を聞かせていただけたり、また、いつもは収蔵庫はガラス越しの拝観であったのが、この日は内部に入ることが許されるなど、ツアーならではの特別さであった。
影向寺収蔵庫(瑠璃光殿)内は、中央に薬師三尊像、前方左右に二天像、そして十二神将像とがズラリと並ぶ一大仏像ワールドである。
薬師如来坐像(藤原時代)ケヤキ材一木造 像高139cm 国指定重要文化財
木の風合いよろしく、非常にやさしく温かい雰囲気を持った薬師如来である。顔がいかにも藤原時代を象徴するかのような「尊容如満月」の丸顔で、目の雰囲気も藤原時代らしい雰囲気だ。わずかに微笑んだような表情もいい。外から眺めるのとはまた全く違う雰囲気だった。
今回は背後にも特別に回らせていただけた。参拝者の方が「海」と形容されたという薬師如来の背中は、真っ黒でとても大きく吸い込まれそうだった。
藤原時代らしい薄い衣紋の彫りであるが、造形がとてもきれいだ。
日光・月光菩薩は時代がやや降るというが、本尊とよく似た風貌をしている。
二天像の足元の邪鬼がやんちゃな雰囲気でとてもかわいい。
【3】横浜市立金沢文庫「中世密教と<玉体安穏>の祈り」展 横浜市金沢区金沢町142
川崎駅に戻り、電車でチームごとに一気に横浜市の南部・金沢文庫まで移動する。金沢文庫では期間限定で龍華寺で発見された天平時代の脱活乾漆像が1階に展示されていた。以前より噂はかねがねという状態であったが、今回初めて拝観させていただいた。
残存状況の厳しさから、かつては間違った修復がされていたそうだが(左右の足の取り違えなど)、それを当初の状態に修復したものが現在のものである。右足を踏み下げる半跏の様態であり、同じ天平時代作の木心乾漆像で、東京国立博物館や東京藝術大学に安置されている日光菩薩踏下像や月光菩薩像に共通する雰囲気を持っている像であると感じた。龍華寺像の方が流麗な雰囲気であるが、後補がかなり多いため実際のところはわからない。
こちらの像は、兵庫県にある金蔵寺の乾漆阿弥陀如来頭部との技術的類似性を指摘されているものの、いずれも伝来には不明な点が多いという。脱活乾漆は漆をふんだんに使うことからとてつもない高級品であり、当時は国家事業でしかできなかったと言われる。多くの乾漆像が造東大寺司などの国営造仏所で作られており、この仏像もかつては関西にあった可能性もありそうだ。
2階では「中世密教と<玉体安穏>の祈り」展が開かれており、当時の天皇の守護と神祇進行との融合的な要素を取り扱った特別展であった。龍華寺の小さな歓喜天像などもなかなか興味深かったが、最も衝撃的だったのは歓喜天曼荼羅だろう。こういうものがあるとは知らなかった。みんな釘付けだった。
【4】龍華寺(りゅうげじ) 横浜市金沢区洲崎町9-31
先ほどの脱活乾漆像が発見されたことで有名であるが、文覚上人が1189年に開創した寺院で、予想よりもとても大きなお寺であった。境内では牡丹の花を初めとして数々の花々が咲き誇っており、多くの参拝客が訪れていた。
大日如来坐像(鎌倉時代)割矧造 玉眼 像高61.5cm 横浜市指定文化財
龍華寺本尊。平成22年に横浜市指定文化財になったばかりであるが、慶派に連なる仏師の作と比定されているそうだ。江戸時代に龍華寺の本尊となったということで、本来はどこにあった仏像なのだろうか。
今回は特別に三面大黒像もご開帳いただいた。
門の脇にある地蔵堂へと移動する。
地蔵菩薩坐像(室町時代)寄木造 玉眼 像高76cm 横浜市指定文化財
龍華寺のある州崎の民の浄財で作られたという地蔵菩薩である。やや下を向いて憂いをも感じさせる少年のような表情で、なかなか整った顔をしていてクールだ。
地蔵菩薩の前にいた小さな閻魔大王がなかなかかわいかった。
境内の観音像。サトザクラがきれいだった。
【5】実相院(じっそういん) 東京都足立区伊興4-15-11
横浜南部から一気に東京と埼玉の都県境の東武伊勢崎線竹の塚駅まで移動する。駅から徒歩15分ほどの実相院は、前九年の役の際に奥州へ向かう途中の源義家が戦勝祈願をしたと伝えられる古刹。
門前の石造仁王がなかなかいい味を出していた。
こちらでも本尊の正観音菩薩が12年に1度のご開帳(午年4月)。双眼鏡を使って何とか表情も確認したが、暗くて遠いので詳細まではわからなかった。子育て観音として母乳の不足に悩む人たちの信仰を集めてきたという。立木仏のような雰囲気であり、そのように扱われる場合もあるようだが、詳細はわからないようである。
地域の方々がお茶やおせんべいをくださり、とても暖かい雰囲気であった。
【6】明王院(みょうおういん) 東京都足立区梅田4-15-30
最後は竹の塚駅から数駅南に戻った梅島駅から徒歩20分ほどのところにある明王院。寺域は広く、「赤不動」の異名のもとともなっている不動堂もとても立派だ。
ご住職による詳細なプレゼンの後、院派仏師作の小さな如意輪観音像(室町時代・都指定有形文化財)を拝観した。とてもかわいい雰囲気ながら、よく見ると衣紋などの造形は精細であり、やや堅い表現であるものの、なかなかに優れた仏像であることはわかる。六臂のうち4本は欠損してしまっているが、残る2本も体に比してずいぶんと細いというか小さい。
文化財カードの写真では宝冠をつけ宝髻がないが、現在は宝冠をとり高い宝髻を結っている。これは最近の補修ということであるが、同じ院派仏師の他の作品を研究して造形したものということなので、本来像もこのような形だったのかもしれない。
緑の葉を見下ろすような不動明王の石仏がなかなか良かった。
これで拝観は終わり、御徒町へと移動して懇親会。仏像のことや情報など、あれこれたくさん話せてとても楽しい会であった。
これほどの規模での仏像めぐりというのは全く経験したことがなく、どうなるか少し心配していたのだが、チーム分けすることでスムーズに流れ、大きな事故なく終われたことは素晴らしい。新しい仲間たちとも出会えたり、それによって新しい縁ができた仏像があったりと、ただ単に秘仏が拝観できたというだけではなく、いろいろな意味でとても充実した中身の濃いツアーであった。主催者のyo_kkunと運営の皆さん、本当にお疲れ様でした。
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