額安寺(奈良県大和郡山市)— 深い歴史を静かに物語る彩色美しい日本最古の乾漆虚空蔵菩薩

額安寺入り口

前回のエントリで取り上げた旧白米寺収蔵庫からは、北西に3キロほど、車で10分ほどの場所にあるのが額安寺(かくあんじ)である。以前よりこちらの虚空蔵菩薩像のことはよく耳にしているのだが、なかなか訪れる機会に恵まれないままであった。今回、ようやく訪れることができた。

白米寺の近くから流れてきた大和川(かつての初瀬川)と、西ノ京からずっと流れてきた佐保川が合流するあたりのすぐ北側、かなり細い道を抜けた先に額安寺はあった。川、それも合流地点が近いのは昨今の豪雨や水害の頻発を見ているだけにちょっと心配になる場所だが、川の合流地点という古代からの交通の要衝だったからこそ、この地が重要だったようだ。

額安寺南門

南門 こちらからは通常は入れないので西側の受付へ回る

正面に車を駐めて西側の入口へと回り、人影のない静かなお寺の呼び鈴を鳴らす。塀や門は新しく、予想していたよりもずっときれいな佇まいである。若いご住職(副住職?)が出てきてとても丁寧に迎え入れてくださった。ちょっと俳優の八嶋智人さんに似ている印象(笑)拝観料を支払い、ご朱印帳をお預けして境内へと入れていただく。

境内がとてもきれいなので何だか新しいお寺のようにも感じてしまうが、お寺の歴史は相当古く、奈良時代にまで遡る。

額田寺伽藍並条里図

「額田寺伽藍並条里図」

聖徳太子が祇園精舎に倣ってこの地に建てた学舎・熊凝(くまごり)精舎は、一説によれば流転を繰り返しつつ大安寺になったそうだ。実際にはそれを裏付ける史料はないようだが、その跡地に建てられたのが額田寺であり、現在の額安寺の前身であるという。国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に保管されている「額田寺伽藍並条里図」を見ると、南大門から中門を経て回廊に囲われた金堂があり、その北に講堂、東の隅には三重塔を有し、僧坊や私院も有するかなりの大きな寺院であったことがわかる。寺域は、南北約200メートル、東西300メートルに及んでいたというから相当大きな寺院であるが、どうやらこの一帯を所領としていた豪族・額田部氏の氏寺であったようだ。

境内に足を踏み入れると宝篋印塔(大和郡山市指定文化財)が目を引く。これは鎌倉時代の叡尊の弟子・慈真和尚が母のために作ったものと伝えられており、数年前まではお寺の南東にある池の島に立っていたそうだ。記銘の残るものとしては日本で三番目に古い文応元年(1260年)のものだとか。ずいぶん大きな宝篋印塔で、非常に立派だ。

宝篋印塔

 

境内は、白砂や石畳、緑もさりげなく配されていて、とてもきれいに整備されており、お堂もそれぞれ大きくないところが何だかかわいらしく、親しみを感じる。

まず本堂に入れていただく。かなり古い時代のものにも見えるが、古様で作られているようで、慶長十一年(1606年)に建てられたものだそうだ。大和郡山市指定文化財である。

本堂

外から見るとかわいらしく小さなお堂に見えるが、中に入ると広々としている。その中央の厨子には、幕がかかった中に、色白な美しい仏像が見えた。

※以下、撮影には特別に許可をいただきました

十一面観音菩薩立像(室町時代)国指定重要文化財

十一面観音立像

かつて「テレビ見仏記」でみうらじゅん氏いとうせいこう氏がこの寺を訪れた際には、この像に釘付けになっていたとご住職がおっしゃっていたが、彩色が非常に美しい。荒廃していた時期、長い年月にわたって秘仏であったことからこのような美しい状態で遺されているようだ。

十一面観音 上半身

肌は白く何とも言えない透き通った雰囲気で、ヒゲがクッキリはしているものの、もちもち肌を感じる女性的な美しさだ。幕がかかっているので頭上の面は見えないが、幕からこっそりのぞく平安貴族女性、もしくは、品のある美しい貴族、例えば光源氏のような、そんな趣のある仏像である。

本堂はこれ以外にも多くの仏像が並び立っている。

厨子の脇に立つ吉祥天梵天は截金細工が美しい知的な雰囲気のあるいい像である。吉祥天のおなかがぽっこりしていて何だか撫でたくなってしまう。

吉祥天立像

吉祥天立像

吉祥天は宝珠も持っているし、それっぽい造形なのだが、梵天はよくよく見ると、ちょっと伏せた2つの目の他に、額に第三の目があるように見える。

吉祥天と脇侍を形成するのは普通であれば帝釈天なのだそうだが、こちらのお寺では梵天として考えられているそうだ。梵天は密教化すると四面四臂になり3つめの目が表現されるようだが(帝釈天も第三の目がある)、密教風でない梵天および帝釈天は普通の人間と同じように表現されるという記憶がある。

こちらの梵天の第三の目だけは浅い彫りであることや、見ると肩口と首の付け根には破損があり、頭部は体部とは雰囲気が違うようにも見えることもあることからひょっとしたら本来は違う像であったのかもしれない、などなど、ニヒルな雰囲気でいろいろと考えさせてくれるところがなかなかニクい仏像であった。

梵天立像

梵天立像

 

厨子の四方に立っている(もしくは立てかけられている)四天王は、ちょっとずんぐりむっくりで何ともいい味を出している。目がギョロリとしている。

四天王像

 

厨子に入った小さめの毘沙門天もなかなかカッコイイが、バランスのいい体部に比して、頭はやや大きく、向きもちょっと変なので、頭部は後補もしくは修理したのかもしれない。しかし体部はなかなかいい造形だ。邪鬼は後の時代のものだろうが、何だか毘沙門天のファンという感じにも見えて、とても愛嬌があってユーモラスだ。

毘沙門天立像

毘沙門天立像

 

こちらの阿弥陀如来坐像もなかなか美しい。

阿弥陀如来坐像

 

鎌倉時代よりは後の時代のものだろうが、キリリとしていてなかなかいい顔をされている。

阿弥陀如来近影

インパクトがあったのがこちらの大師様の不動明王

不動明王坐像

造形そのものは衣紋が直線的であったりして少し堅いのであるが、印象的なのは顔である。

とにかく目がでかく、歌舞伎役者のにらみを思い出させるものがある。目がちょっと寄って、わずかに視点がずれてるところもまた歌舞伎っぽい。

しかしよく見ると、その肌の造形といい、髪の毛の精緻な刻みといい、とてもきれいだ。でっかい耳環もオシャレ。大師様は辮髪を左肩に垂らすのが普通だが、こちらは破損してしまっているようだ。そこがまた何だかショートカットの髪型のようで、大きな耳環とも相まって、ちょっとオシャレな女性が怒っているように見えたりもする。

不動明王近影

 

本堂だけでもかなり充足感のある仏像ワールドであるのだが、その本堂を出て、いよいよこのお寺を訪れたメインの目的である収蔵庫(虚空蔵堂)へと入れていただく。

虚空蔵堂

お堂に入ると、ガラスケースに外の光が映ってしまうので閉めて拝観するように、と若いご住職が教えて下さった。

虚空蔵堂正面

 

虚空蔵菩薩半跏像(天平時代)木心乾漆造 像高52cm 国指定重要文化財

虚空蔵菩薩全身

外のまぶしい光が遮られ、部屋の照明の中に浮かび上がった仏像を見て、私は思わず声を挙げた。そこには、彩色が非常に美しい、小さく気高い仏像が静かに、静かに左足を踏み下ろして座っていた。

虚空蔵菩薩右側面から

静か、と感じるのは、そのすらりとしたまっすぐな姿勢と、あまり抑揚のない穏やかな表情からであろうか。

天平時代作の木心乾漆像であり、現存日本最古の虚空蔵菩薩像であるという。

虚空蔵菩薩上半身

虚空蔵菩薩とはそもそも、宇宙の広がりを表す「虚空」と、すべての人々に恵みを与える宝を持つことを表す「蔵」からきた名前だそうだ。これに対するものとして、大地を表す「地」と「蔵」、つまり地蔵菩薩。虚空蔵菩薩と地蔵菩薩はもともとは対のものなのだという。しかし、地蔵菩薩は独特な信仰に支えられ、虚空蔵菩薩の虚空の部分は他の仏像による信仰が盛んになっていたために、対で祀られることはほとんどない状態だという。

虚空蔵菩薩施無畏印

やや面長で大きめの頭に、ぼってりとした朱い唇、すらりとしたきれいなカーブの眉、感情を感じさせない瞳が描かれている。色合いというか墨の発色具合というか、何だか乾漆像にはこうした雰囲気が共通しているようにも感じられる。

虚空蔵菩薩 顔近影

ヒゲがしっかりと描かれていることもあるが、男性的というか、上品なおじさん、という感じに思えてしまう。頭に四角い冠をかぶっていてスラリとした姿勢のよさのせいか、どちらかというと西洋の衛兵のような、不思議とそんなイメージもある。

上半身の瓔珞(ようらく 、胸飾りも乾漆による造形であろうが、かなり美しい。また、複雑に入り乱れるようになっている条帛の造形も素晴らしい。これらも乾漆の一部だろうか。東大寺法華堂の不空羂索像は光背の細い部分までも乾漆だというから、この条帛もそうかもしれない。

この像が半跏像ながらかなり縦長にひょろりとしたイメージなのは、おそらく頭や上半身に比べて脚部がかなり小さいからではないかと思う。バランスが良くないということではあるのだが、そのアンバランスがこの像の何とも言えない愛おしさを作り出しているような気がして仕方がない。それにしても右足の造形のかわいらしさといったらどうであろう。

上半身瓔珞

踏み下げた左足の衣紋には最もきれいな朱が遺されている。見事な蓮弁、円光背や体部にも美しい彩色が遺り、目を瞠る。

踏み下げた左足

これらの彩色は、鎌倉時代に叡尊仏師の善春や絵師の明澄に指示して補修したということが台座銘からわかっている。つまり当時の彩色ではないということだ。しかしそうであっても800年前のものなのだろう。非常に美しい。

光背の彩色

光背の宝相華

左肩の宝相華紋

左肩の花

 

見とれるように拝観しているとご住職がいらっしゃっていろいろとお話させていただく。その中で、現在の興福寺の乾漆像の八部衆がもともとはこの寺にあったものという説を出している学者がいる、という話も伺った。もちろん事の真偽はわからないようだが、こんなに古く美しい虚空蔵菩薩がいらっしゃることを考えると、そうした可能性もないとも言い切れないものを感じた。

小さなお寺であるが、その清廉な雰囲気からは想像できないほど、長く深い歴史が凝縮されたような濃厚な空間であった。またぜひ訪れたい。

 

※追記(2014年12月30日確認)

虚空蔵菩薩半跏像は寺を離れ、奈良国立博物館への寄託となったとお寺の方に確認がとれました。お寺では虚空蔵菩薩像については拝観できません。本堂及び十一面観音立像は拝観できるそうですが、お寺にお邪魔しても「拝観謝絶」と書かれている場合があるため、事前の予約が望ましいです。

 

熊凝山 額安寺(かくあんじ)

〒639-1036 大和郡山市額田部寺町36
TEL:0743-59-1128
拝観:事前予約が望ましい。個人の場合についてはご住職がご不在でなければ応じて下さるようです
拝観料:300円
拝観時間:10:00〜16:30
アクセス:近鉄平端駅から徒歩約15分
駐車場:門前に10台ほど駐められる(無料)※お寺前への道はかなり狭いので要注意

[mappress mapid=”70″]

虚空蔵菩薩上半身

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次