慶田寺(奈良県桜井市)—「いいお顔」の観音像のヒミツ

慶田寺 正門

桜井市の北辺一帯は独特な雰囲気をもった空間だな、と子どものころからこの地を訪れながら感じてきていた。

それもそのはず、この一体は三輪山をシンボルに、纏向(まきむく)遺跡のあったかつての大和朝廷の中心地として比定されている。さらに卑弥呼の墓とも言われる3世紀の最古級前方後円墳である箸墓古墳もある。日本の歴史というものが開始された頃から、最も古くから伝統や伝説を織り成し続けてきた地なのである。多くの人たちの思いや生活の息づかいがずっと続いてきている地なのだ。

そんな三輪山の北西、箸墓古墳のすぐ近くに慶田寺はある。

信長の弟の織田長益は有楽斎と号する茶人としても知られるが、東京・有楽町の名前の由来であるとの俗説があったり、国宝茶室・如庵(現在は愛知県犬山市にある)を作ったことでも知られる。関ヶ原の戦いでの功績で、家康から大和国城上・山辺二郡から三万石を与えられたという。それがこの一帯に当たるわけだが、その後、大坂夏の陣に参戦しなかったことで領土を三分割されたという(隠密として参加したという俗説もある)。後にこのあたりは芝村藩となり、この慶田寺は芝村藩を治める芝村織田家の菩提寺となったそうだ。境内には織田家の墓があるという。

シャガの花

奈良市から明日香へと、山之辺の道に沿った国道169号線を通って何度も抜けてきたが、箸墓のこんもりとした森に注目はしていても、慶田寺の存在は全く知らなかった。仏友たちのブログでその存在を知り、ようやくこの日に訪問することができた。

 

阿日寺を出た時からすでに雨模様であったが、慶田寺に着く頃には本格的な雨になっていた。

お寺の東側に広い駐車場があり、そこに車で入っていくと、もう1台、ちょうど着いたばかりの車から夫婦が降りて、身を寄せ合うように1つの傘に入ってお寺の門をくぐっていった。

keidenji_01

予約をした時間にはあと10分ほどあるので少し待ってから、私も本降りの雨の中、傘をさして境内へと入っていく。境内はとても広く、予想していたよりもはるかに堂々たる寺院だった。

庫裏の呼び鈴を鳴らすと、堂々とした体躯のご住職らしき方が出てきて下さる。名前を名乗ると、何とも私と同じ苗字だということであった。予約した者であることを告げるが、どうやらうまく伝わっていなかったようだ。しかし同じ苗字ということが幸いしてか、ご住職は快く招き入れて下さった。

本堂は広々としているが照明は落ちている。ご本尊についても後ほど触れるが、まずは本堂を通り抜けて、本堂裏に続く廊下へと入り、やや薄暗い部屋に入ると、まずは正面に堂々たる阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)が目に飛び込んでくる。周囲は骨壺と遺影が飾られており、どうやら納骨堂のようだ。

このお堂に安置されている仏像は、近隣の広読寺というお寺に祀られていたという。廃寺になってこちらに移されたのだそうだ。

慶田寺 納骨堂

「こちらですわ」

ご住職が手をさしのべた先、阿弥陀如来のすぐ隣に、厨子には入らず1体の木彫仏が立っていた。

 

十一面観音立像(平安時代初期)像高203.0cm ケヤキ材一木造 

慶田寺 十一面観音立像 全身

スラリとしたスリムな仏像であるが、何と言ってもその表情にまず目が行く。

ニンマリ。一言で言うとそんな感じに見える。口が一般的な観音像、いや仏像とくらべても大きく、わずかに口角を上げているように見える。それがこの仏像の一種独特な表情を作り出しているのだろう。思わずこちらもニンマリしてしまっていることに気づく。

十一面観音像 正面1

正面から見ると、目は切れ長でややつり目になっていて、鼻の付け根あたりの幅がやや広いのが特徴的だと感じる。やや斜めから見ると鼻はやや低くこんもりと盛り上がっているように見える。

十一面観音 斜め前からアップ

横からでも鼻に関しては同じく少し低い感じであるが、唇の特徴的な彫りはより印象的に見える。

十一面観音像 側面より

表情はどの角度から拝観しても、彫りそのもののレベルの高さ、美しさはかなりのものだと感じる。そして「いいお顔」、という表現が思わず口を突いて出てくる。ニンマリして鼻と口が近いというのは非常に特徴的ではあるものの、バランスがいいのか、何とも顔から目が離せないくなる魅力を持っている。

頭上に目を遣ると、ぐるんぐるんと結い上げられたと見える宝髻、そしてその上に大きめの頭頂面だけが乗っているのが独特な雰囲気を出している。まるで神像が頭の上に載っていて、手を合わせているようかのように見えてしまったりもする。頭頂面以外の小面は失われている。

十一面観音 斜めから 頭上仏

体全体に目を遣ると、頭が大きくて体はかなり細い。後世の修理や改変などでちょっとちょっとアンバランスな感じになってしまっている部分もあるようだが、この表情とも相まって、何とも全体的にいい雰囲気を出しているように感じる。

そのままでも味わいのある木彫像に見えるが、この観音像には大きなヒミツがある。実はもともとは木心乾漆像だったのである。

木心乾漆とは、木の芯となる仏像の周りに、漆と麻布を何重にも重ねて盛って造形されて作られる技法だ。同じ乾漆像でも脱活乾漆造(興福寺阿修羅像が有名)は粘土の像の周りに漆と麻布で盛り上げてから中は掻き出すのでまさにハリコのようになるわけだが、木心乾漆は中は掻き出せないのでそのままということになる。

十一面観音像 上半身斜め

つまるところ、現在は木彫像のようであるが、本来はこの状態では外に出ることはなかった、ということになる。近年、その損傷が激しいことから、専門家の意見を取り入れて乾漆の部分を剥がしたのだそうだ。千年以上もの間ずっとかぶっていた「外皮」をはがされて、ちょっと恥ずかしいと思っていらっしゃるかもしれない。

漆を大量に使うこともあって、乾漆像は当時、非常に非常に高価であり、造東大寺司を初めとする官営造仏所で主に作られていたという。木心乾漆で著名なものと言えば、聖林寺十一面観音(天平時代・国宝)や、同一工房で造られたと言われる観音寺十一面観音像(天平時代・国宝)などがあるが、聖林寺像は、この一帯にある大神神社の神宮寺所属だったものが廃仏毀釈の際に避難したものである。造像時代が違うとは言え、何か少なからず関係のあることなのかもしれない。

体の衣文などは古式な表現であるが、彫りそのものは顔に比べるとしっかりとせず簡易的に見えるのは、乾漆を盛るという見込みの上で作られていたからなのだろうか。後世の修理や改変などによってアンバランスに彫られてしまったところもあるという。胸板がかなり薄いのはそのためだろうか。

十一面観音像 斜め前からアップ

イケメンというのとは違うかもしれないが、とにかく「いいお顔」だな、という感想がピッタリとくる仏像であった。

 

納骨堂にはもう1体、ちょっと気になる仏像が安置されている。小さな厨子に入った不動明王像。この不動明王、なぜか腕が逆につけられている。まるで何かを握って「見せないよー」とでも隠しているようで何とも愛らしいが、腕が痛いよね、とも思う。下の二童子?なのかちょっとわからないが、こちらも何ともいい味を出している。

不動明王

 

本堂に戻り、ご本尊に手を合わせる。中央の高いところに安置されているのは長谷寺式の十一面観音である。小ぶりな像であることはわかるが、暗くてよく見えない。人気ブログ「ひたすら仏像拝観」の中の人である迦楼馬さんは「宿院仏師の作のように見える」と話していた。

宿院仏師については次回のエントリーで詳細に取り上げるのでお楽しみに!)

本尊 十一面観音像

こちらの像の由来は残っておらず、修復や調査も特にしていないそうなので、宿院仏師のものかどうかはわからない。ただ、室町時代に織田家によって寺が再興されており、その頃の作ではないか、とお寺の方がおっしゃっていた。宿院仏師の作であったと考えても時代としては符合する。かなり暗いので肉眼では見えないものの、こうして写真を調整して見てみると、頭がやや大きめではあるものの、衣文の表現といい体のひきしまった造形といい、なかなかよい仏像であるようだ。興味深い像である。

 

丁寧にお礼をして外に出ると、ますます雨が激しい。しかしすぐ近くに迫る三輪山とそれに続く峰々の緑は非常に美しく、初夏の若若しさの到来を感じさせてくれていた。

 

【関連サイト】

「涼やかな表情の十一面観音像『慶田寺』@桜井市芝(奈良に住んでみました)

「慶田寺」(せきどよしおの仏像探訪)

「慶田寺『ほほえむ十一面観音』」(ストイックに仏像)

「奈良県・慶田寺「ほほえみの観音菩薩の巻き」」(ひたすら仏像拝観)

 

【慶田寺(けいでんじ)】

〒633-0074 奈良県桜井市芝753
TEL:0744-42-6209
拝観:要予約
拝観料:志納
駐車場:10台は駐められる広い駐車場がお寺の東側にある(無料)

[mappress mapid=”74″]

十一面観音像 斜め前からアップ

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次