三千院(京都府京都市下京区)― シャクナゲの咲き乱れる来迎の庭

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大原は京都市街からは北東の方角へと一山越えたところにあるのどかな山村である。比叡山のすぐ下ということもあり、もともと天台系の寺院が多い地域である。

大原へは一昨年の秋に訪れたが、その時は、宝泉院の秋の夜間拝観のためだった。「額縁の紅葉」として有名な夜の紅葉はとても美しかったが、基本的に真っ暗な大原の里であり、三千院も当然のことながら門は堅く閉ざされていた。ずいぶんと長い間、三千院の門をくぐっていない。

ということで、かなり久しぶりに三千院を訪れるべく、車を大原へと走らせた。

この日は土曜ということもあり人が多いかな、と思ったが駐車場にも問題なく駐められた。

三千院への緑と水の流れが気持ちいい道を上る。

三千院への道

10分ほど上って左へと石段を上がると、三千院の石垣が連なる前の砂利道となる。連なる石垣の中央あたりに立派な門があり、今日はもちろんしっかりと開いている。

三千院前への石段

 

三千院に入ると、まずは広い客殿の中を歩きつつ美しい庭園を楽しむことになる。

花頭窓の向こうにシャクナゲ

花頭窓の向こうにシャクナゲ

客殿や、三千院の前進寺院である円融坊の名を残すお堂に接した広い日本庭園である聚碧園の庭。

聚碧園の東側

中庭のつくばい

つくばい

 

ずっと屋内を歩いてきた最後にあたる宸殿には、最澄作と伝わる薬師如来像が安置されているというが、こちらは秘仏である。

宸殿から振り返ると、有清園というこちらも広い庭園が広がっている。杉の立派な木立の間に、見事なシャクナゲの木がいくつもあり、たくさんの花をつけている。

有誠園と往生極楽院

シャクナゲの咲き乱れる有清園。

シャクナゲ

 

有清園を歩いて行くと、向こうにお堂が見えてくる。これが、この三千院の中で最も素晴らしい空間と言える往生極楽院である。

三千院はもともとはこの地にあった寺ではない。比叡山中の円融坊に由来し、その後、京都盆地とは反対側の大津に移転され、度重なる移転の後に現在地へと移ってきたのである。そしてこの地に平安時代からあった往生極楽院を取り込んで現在の寺院の形が整えられたようだ。今では三千院の中のひとつのお堂のような感じであるが、もともとはこの往生極楽院が先にあったのである。ずっと客殿を歩いて歩いて、最後にドーンとオオトリのように登場!、という感じでもあるので、”大原の先輩”への敬意も感じられるということかもしれない。

正面に回ると、往生極楽院の本尊である金色の三尊像の姿が目に飛び込んでくる。

往生極楽院

 

阿弥陀三尊像(藤原時代 1148年) 寄木造 像高194.5cm(中尊)、131.8cm(観音菩薩)、130.9cm(勢至菩薩) 国宝

阿弥陀三尊像

(公式サイトより)

 

いわゆる「一間四面堂」の小さなお堂であることから、中に入るとこの見事な阿弥陀三尊には圧倒される。一間四面堂とは、平安時代に流行した阿弥陀如来を安置するための阿弥陀堂のスタイルであり(もとは天台宗の常行堂のスタイルだった)、内陣を一間四方とし、その外に一間幅の庇の部分をつけた間口三間の正方形のお堂である(鶴林寺のように孫庇をつける場合もある)。平等院鳳凰堂も、翼の部分があるから一見、違って見えるかもしれないが、中央の仏堂の部分に関しては一間四面堂の形式である。(大学のゼミでは「一間四方堂」と習ったように思うが、「一間四面堂」の方が一般的のようだ)

三千院の阿弥陀三尊は、船をひっくりかえしたような独特な船底天井のもと、ちょっと狭くも思える中に、しかしながら静かに収まっている。阿弥陀如来の座す宣字座の腰のあたりには切り詰めた痕があるということで本来は別の堂にあったものかもしれないが、かつてはこの堂内は極彩色の彩色が施されていたという。今では壁も天井も黒ずんでおり、阿弥陀三尊の金色だけが渋く光り輝くようであるが、それがまた不思議と良い雰囲気を醸し出しているように感じる。

日本国宝展のフライヤ

日本国宝展のフライヤ

中尊の像高は190cmあまりなので、丈六よりは小さく半丈六よりは大きい。丈六よりも一回り小さい「周丈六(周代の尺を使った丈六)」であろうか。

脇侍の観音・勢至菩薩は「やまと座り」と言われる正座をしたような造形であることがよく知られる。このような形の像は他にも見られるが、とりわけこちらの像は素晴らしいまとまりと安定感がある。ちなみに、今秋、東京国立博物館で開かれる「日本国宝展」に、こちらの2体のうち、勢至菩薩像が出座されるそうだ。

京都には藤原時代の貴族の浄土思想に由来する阿弥陀如来像が何体も遺されているが、それぞれに違う表情と雰囲気があって良い。宇治・平等院の定朝作の阿弥陀如来は表情にはやや厳しさも持っており、日野法界寺の阿弥陀如来は少し童顔の女性的な優しさ、そしてこの三千院の阿弥陀如来は凜としていてほんの少しだけ微笑みを感じる。

これらの阿弥陀如来像は「定朝様」と称され、定朝作の阿弥陀如来を規範としている。各地にかなりの数が作られており、今も何体も遺されている。京都周辺だけではなく、中尊寺(岩手県)の3体の丈六像や富貴寺大堂(大分県)の阿弥陀如来なども定朝様である。その他にも日本全国に数多くの定朝様仏像が存在する。

定朝はその父(師という説も)・康尚が形にした寄木造りを完成の域へと達させ、藤原氏や貴族の仏像を数多く造像し、仏師で初めて法橋にまで上り詰めた。おそらく平安仏や平安時代の寺院建築のラッシュによって大きな木材が枯渇していた中にあって、巨木がなくとも巨像を作ることができる方法を体系化した功績は大きい。造形についても、平等院鳳凰堂阿弥陀如来に見る美しさ、また、現在は存在しない京都・西院にあった邦常朝臣堂に収めた阿弥陀如来は特に素晴らしかったとようで、「尊容如満月天下これをもって仏の本様となす」「その金躰まことに真像にむかうがごとし」と文献に遺り、白河上皇がコッソリ見に行ったり、さらに、しばらく後に仏師たちによって詳細な寸法の実測まで行われている。これを規範として数多くの阿弥陀如来が作られたということである。

この三千院像も定朝様であり、平等院阿弥陀如来像に比するとやや形式的になっていると評されるが、三尊としてのまとまりはとても美しい。

外から入る新緑の明るい緑の光の中、葉のわずかな動きを少しばかり金色の体に映しつつ、静謐そのものに来迎の様を表す三尊像は気高さそのものを感じさせる美しさであった。

 

新緑美しい庭に降りて歩いていくと、一角に人が少しだけ集まっているところがある。この庭には「わらべ地蔵」と言われる小さな石仏が苔の中に顔を出していることで有名だ。なかなかかわいい。

童地蔵

 

わらべ地蔵

わらべ地蔵

わらべ地蔵

 

一段上がったところにある金色不動堂では、特別なご開帳がされていた。

金色不動尊像(平安時代)伝・智証大師作 像高97.0cm

金色不動尊

(公式サイトより)

智証大師円珍が感得した金色不動の姿を現しており、長い期間秘仏であったということで、色もよく残っているということである。ちょっと遠かったが、双眼鏡で見ると、上半身がキュッとしていて足がスラリとしている。金色というか黄色い感じだった。昨日京博で拝観した神童寺の不動明王像は現在は白く塗られていて白不動と呼ばれているようだが、本来は金色あるいは黄色の不動だったはずで、三千院のこちらの像のような色合いだったのだろうか。

金色不動堂の脇には、やや遅咲きの枝垂れ桜が咲いており、シャクナゲとのツーショットがなかなか良い。

枝垂れ桜とシャクナゲ

境内はとにもかくにも、シャクナゲがきれいであった。この後の旅でも、その美しさを大いに満喫することになる。

鑓水とシャクナゲ

鑓水とシャクナゲ

 

門前のみたらしだんごがあまりにも美味しそうだったので味わった。とてもやわらかくて美味しかった。

みたらしだんご

(こちらは焼いているところ)

 

おそらく20年ぶりくらいに訪れたのではないかと思うが、やはり三千院はいい。気持ちも体も癒やされた思いで大原を後にした。

 

魚山 三千院(さんぜんいん)

〒601-1242 京都府京都市左京区大原来迎院町540
TEL:075-744-2531
拝観料:一般 700円
拝観時間:3月~10月:9:00~17:00(閉門17:30)/11月:8:30~17:00 (閉門17:30/12月~2月:9:00~16:00 (閉門16:30)
アクセス:京都バスC3乗り場、17系統大原行にて約1時間 大原バス停から徒歩10分
駐車場:周辺に有料駐車場多数あり

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わらべ地蔵

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