『出雲国風土記』は非常に興味深い書である。現存する風土記の中では最も完全なものに近いと言われ、数多くの神話が登場する。荒神谷遺跡資料館で販売されていて即座に購入した『解説 出雲国風土記(島根県古代文化センター編)』(今井出版)は素晴らしい力作の解説書であるが、これを読めば読むほど、島根半島という地域の特異性を感じざるを得ない。
島根半島の特異性を感じさせる神話の中でも最たるものが、「国引き神話」であろう。
八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノミコト)が、出雲は狭いと感じて、新羅国の一部、隠岐の一部、北陸の一部を鋤で切り取って、縄をかけてゆっくりと引っ張ってきた、というものであるが、先述の解説書では、それぞれの地域との深い交流や、農耕、漁、食料、料理という日常での活動を表現し、開発というものを感じさせると検証されているのは非常に興味深い。
さて、その国引き神話は、東西2つに分かれているというのは今回調べていて初めて知った。島根半島の西半分は新羅より切り離され、三瓶山に縄をひっかけて引っ張られ、杵築大社(現在の出雲大社)の南に延びる薗の長浜がその縄という。東半分は、能登半島の先の「高志(こし)」や隠岐を切り離して、今度は伯耆国の大山に縄をひっかけて引っ張られ、現在の夜見が浜(現在の弓ヶ浜)がその縄、そしてくっついた地が「三穂の国」となった。現在の美保の地である。
これは、古来より美保が北陸との海運での交流があったことに関連しているようだ。『出雲国風土記』には、「大神命が、高志の国の神 意支都久辰為命(おきつくしいみこと)の子、俾都久辰為命(へつくしいみこと)の子、奴奈宜波比売命(ぬなかわひめ)と結婚して生まれた御穂須須美命(みほすすみみこと)が鎮座しているから美保という」、といった内容の件があり、北陸との関わりの深さを感じさせる。
今回はその美保にあった関を表す地名である美保関へと向かうことになる。
弓ヶ浜から大山方面を眺める。この弓ヶ浜が縄ということであり、そこに自分が乗っている状態で、縄の先には、頂上は雲には隠れているが、あの大山が杭なのかと思うと、そのスケールの大きさを実感して驚く。
そもそも、神話を作り出した時代の人たちは今のように空からの地形はわからなかったはずであるが、この浜が砂州でできた長細いものであることはわかっていたであろうから、それが海に面して立てば、弧を描いて大山へと繋がっているように見えることからして、あのような壮大な物語を作り出したのだろう。素晴らしい創造力であると感じる。
ユリカモメたちが飛び交っている。
これから向かう美保関を遠望する。灯台が見える。
弓ヶ浜の最も先っぽにあるのが境港で、ここは「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるの故郷として知られる。私も大学に入ったばかりの頃に鉄道で訪れたことがあるが、まだその頃はそんなに有名ではなく、静かな港町であった、という記憶が残る。
鉄道だと境港までだが、今日は自動車なので、その先へと進む。
境水道大橋は普段は骨格だけのような感じだが、この日は工事中で被いがかかっており、遠くから見るとまるで恐竜のようだった。
橋を渡った多くの車は西へと向かうのであるが、私は東へと進む。
先ほど渡った橋の下をくぐり抜け、海沿いに走ること15分ほどで、静かな漁村に到着する。ここが美保関漁港だ。
少しばかり時間に余裕があったので、そこからさらに10分ほど登ったところにある美保関灯台まで行ってみた。
美保関港まで戻る。ゆったりとした雰囲気の昼下がりの漁港らしい雰囲気がなんとも心地いい。
漁港に車を置いて、狭い土地に並んだ古い家屋の間の道である「青石畳通り」を抜けていく。この道は江戸時代に敷かれた緑泥片岩でできており、晴れている時は普通の石畳だが、雨が降ると青く変化するのだという。
その先にある弥陀が谷と呼ばれる谷戸のようなところに佛谷寺はあった。海も山も近いということからか、何だか鎌倉の寺院を彷彿とさせる佇まいである。
佛谷寺の創建は古く、1200年前というから奈良時代から平安時代であろうか。神話とはまた違う寺伝をもっているのがおもしろい。
当時、この一帯の海に3つの妖しい炎があり、海を荒れさせて畏れられていたが、それを「三火(みほ)」と呼んでいた。たまたまこの地にやってきた行基がその三火を封じるために仏像を彫って納めたのがこの寺の始まりなのだという。山陰には行基伝説が多いようだ。その後、弘法大師によって再興されたり、室町時代には隠岐へ流される後鳥羽上皇や後醍醐天皇が風待ちをされたりしてきたという。また、八百屋お七の恋人、吉三の墓があることでも知られる。
境内は広く落ち着いている。
拝観受付のボックスなどがあるが誰もいない。予約していたので呼び鈴を鳴らして手続きをしていただき、東側にある「大日堂」という名の収蔵庫に入れていただく。大日堂という名前だが、大日如来はいない。
照明がつくと、思わず息を呑んだ。
※撮影には特別な許可をいただいています
真っ黒な5人がずらりと横に並んでこちらを見ているようだった。まるで戦隊もののヒーローがバーンと登場したかのようなインパクトだった。
薬師如来坐像(平安時代)一木造 像高100cmほど 国指定重要文化財
非常に独特な造形であると感じる。まず頭である。螺髪が見事であるが、まるで顎にひっかけられるタイプのニット帽をかぶっているかのような立派さである。
また、両肩のあたりの襟を立てていて、何ともオシャレな造形だな、という感じもする。この他、如来像の左胸に1ヶ所の渦巻き文をつける、如来のお腹に二本線を刻む、というこの造形は、天台宗の様式から派生する「出雲様式」と解釈されるが、例の少なさから否定する研究者もいるという。いずれにしても非常に特異的な造形であることには違いがない。
表情も一種独特である。
後世の補修であると思われる白目の部分が黒い体に目立ってしまうことからか、なんとも愛嬌のある表情に見える。
横から見ると体は分厚く、弘仁仏のような丸っ子さもあり何だかいいな、と思う。
腕は当時のものかはわからないが、指の表現はとても美しい。
「出雲様式」には立像の特徴もあるそうで、胸と腰の位置が近く、腰から下が非常に長い、というものだそうだ。4体の立像はいずれもそうなっているのがわかる。
伝・虚空蔵菩薩立像(平安時代) 一木造 像高170cmほど 国指定重要文化財
5体のうち、最も惹きつけられるのがこちらの像である。とにかく衣紋がすごい。深い大波の翻波式衣紋がこれでもかこれでもかと下半身に刻まれている。さらに天衣が複雑にうねっており、拝観していると、この衣はどこからどういう風になっているんだろう、と首をひねりながらも眼が離せなくなってしまうほどだ。
背面もすごい。
渦巻き文もいたるところにあり、ちょっとやり過ぎじゃない?と思ってしまうほどだ。
表情はというと、非常にスッキリとした感じで、衣紋のすごいパワーみなぎる雰囲気とはまた違う。
目が彫られているようにも見えるが、これは後世のもので本来は彫られていなかった、という話も耳にする。いずれにしてもイケメンだな、と思う。
虚空蔵菩薩の立像というのは他では見たことがない。儀軌とは姿も持っている物も違う。左手が人差し指と薬指を立てて握っているのは水瓶の握り方であろうし、おそらく本来は聖観音であったのだろう。
聖観音菩薩立像(平安時代)像高170cmほど 一木造 国指定重要文化財
この五体の仏像は、虚空蔵菩薩が最も古く、この聖観音がそれに次ぐと言われている。
虚空蔵菩薩とはまた違った雰囲気である。胸には瓔珞が掘り出されており、衣紋は虚空蔵菩薩ほど立体的で力強いものではないが、しっかりとした彫りで美しく薄様にまとめられている。どちらかというと虚空蔵菩薩の立体感が異様で、こちらは正当的な美しさという感じを受ける。
表情はちょっとツンとした雰囲気である。顔の形はやや角張った感じだ。出雲様式の表現のひとつなのかはわからないが、唇を突き出すようにしているのは、虚空蔵菩薩を覗く他の3体と共通している。やわらかい体の造形で蓮のつぼみなどを持ちつつも、表情はちょっと取っつきにくいというツンデレさがまた何とも良い。
日光菩薩立像(平安時代)像高170cmほど 一木造 国指定重要文化財
出雲様式の特徴について考えるならば、立像ではこの像が最も象徴的なのではないかな、とも感じる。スラリとしていて、とにかく”胴短長足”である。顔は聖観音と同じくややツンとした表情をしており、やはり唇を突き出すようにしているのが特徴的だ。なんだか細い魚のようだな、と感じるようなつるりとしたイメージの体である。港町にぴったりなのかもしれない。
横顔を見ると、どことなく南方系の顔の作りにも見えるプリミティブさがまた何ともいえない魅力をもっている。
日光菩薩ということであるが、月光菩薩とは左右対称になるところなっていない上に造形もまるで違う。さらにこの日光菩薩は下げている右手は日輪の柄を持っていたようにも見えない上に、左手はどちらかというと水瓶を握っていたような手をしている。こちらも聖観音であったのかもしれない。
月光菩薩立像(平安時代)像高160cmほど 一木造 国指定重要文化財
こちらは右手が柄を持っていたような造形になっている。
そういえば日光菩薩と月光菩薩で、日輪・月輪の右上 or 左上というのはどちらがどちらなのだろう?と思ったが、いろいろ見ていくとそれぞれにあるようで、あまり決まっていないのかもしれない。いずれにしてもこの像は、日光・月光のどちらかであったのだろう。
顔がやや四角い上に大きめで、やや体とのバランスが悪いようにも見える。出雲様式を踏襲してはいるが、やや体部が長めになっているようにも見え、衣紋や造形が全体的に直線的で硬く、この像が一番新しいのではないか、という気がする。
この5体の並ぶ須弥壇の前にも、2体の仏像が置かれているが、毘沙門天の邪鬼がドラえもんっぽい雰囲気でなかなかかわいい。
大日堂を出てお礼を申し上げてお寺を後にする。
青石畳通りでは、地域のおじいさんや子どもたちが会話している風景があったりして何だかホッとする。そんなのんびりした美保関港を後にすると、境水道大橋の辺りでは雨が降り始めた。
視界も遮られるほどのかなりの雨の中をゆっくり走っていると、急にパタッと雨が止んだ。夏の通り雨のような感じであった。ふと左を見ると、伸びやかな中海の風景が広がっていた。
【龍海山 佛谷寺(りゅうかいさん・ぶっこくじ)】
〒690-1501 島根県松江市美保関町美保関530
TEL: 0852-73-0712
拝観:要予約
拝観料:300円
アクセス:松江駅から一畑バス(美保関ターミナル行)で40分、美保関ターミナル下車、美保関コミュニティーバス乗り換え(美保関線)30分、美保神社入口10分
駐車場:美保関漁港の無料駐車場を利用できる
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