子どもの頃から18きっぷやフリーきっぷ、周遊券などを使って日本全国に出かけていたのだが、山陰にはあまり訪れていない。おそらく3回ほどしか行ってないのではないだろうか。それも、出雲や境港など、限られたポイントでの周遊をしてきただけだ。
今回は出雲大社を最も遠い目的地として、そこへ至る途中であちこちと旅行をすることになり、最初の宿泊地を城崎温泉と決めた。
各地の温泉には、温泉寺と銘打ったお寺が存在するところがいくつもある。なぜお寺なんだろう?と思ったのだが、つまりこういうことである。
温泉寺があるような温泉はだいたい歴史がかなり古く、奈良時代に遡るものも多い。そうした温泉を発見するのは、各地を修行して歩いている高僧というパターンが多いようなのである。日光の温泉寺の場合であれば、日光山を開いた勝道上人が開基である。有馬温泉であれば、行基伝説の一つとして語られているようだ。中には下呂温泉(岐阜県)のように、白鷺が教えてくれて行ってみたら薬師如来が鎮座していた、という、いきなり仏さま登場というタイプもある。
もちろん、温泉神社もたくさんある。こちらの場合は、大己貴神(大国主)と少彦名神が発見したという伝えに基づいて祀られるという。神社の場合は明治時代に寺から組み替えられている場合も数多くあると思われるので何とも言えないところもあるが、いずれにしても、お湯が沸くという普通にはない自然現象や、火山への畏怖など、自然への崇敬から来ているのだろう。
さて、今回訪れた城崎温泉には温泉寺がある。この寺は、この温泉を開いた道智上人によって天平十年(738)に開かれたという。道智上人が修行の末に温泉を湧出させたという伝説に基づいているようだ。その温泉は「まんだら湯」という浴場として今も遺っていて、城崎温泉名物の外湯巡りで楽しむことができる。
この温泉寺には数多くの平安仏が遺されているという。せっかく宿泊するのだから拝観しない手はないのである。
城崎は中学生の頃に通り過ぎた記憶のある町だ。その時も円山川の川幅いっぱいの蕩々とした流れが非常に印象的であった。昨日から降り続いている雨の影響も心配されたが、幸いにして城崎は特に影響が出ている様子はなかった。例によって水量豊かな円山川を渡って城崎の町へと入る。
温泉寺は城崎温泉の最も奥に位置していることもあるので、投宿する前に訪れることにした。人通りが多い温泉街の道をゆっくりゆっくりと車で奥へと進み、温泉寺の門前の有料駐車場へ止める。
山門が見えていたのでそちらへと向かう。伝・運慶&湛慶作という金剛力士像(兵庫県指定文化財)はなかなか立派だ。
入ってすぐ左には堂々たる薬師堂が見える。この寺は西国薬師四十九霊場の札所でもあるそうだ。
しかしお目当ての仏像は薬師堂にはいない。他に大きなお堂もなさそうに見えるので、あれ?と思って看板を見ると、主要なお堂は山の中腹にあるという。登っても15分くらいということだが、天気も悪く、時間の都合もあるので、違う手段で行くことにする。
薬師堂近くから城崎温泉を見下ろす大師山までロープウェイが伸びているが、そのちょうど中腹に温泉寺の主要伽藍があり、ロープウェイでは非常に珍しい中間駅がある。
温泉寺に行きたい客は石段を登らずともロープウェイで行けてしまうのである。チケットは、頂上まで行きたい客用と温泉寺だけに行きたい客用との2種類がちゃんと用意されている。
温泉寺コースのチケットを買い求める。拝観券も同時に購入する形になっていたので購入したが、直接行ってもお寺で受け付けてくれるそうだ。
麓のホームから見上げると、中間駅がよく見える。あれだ。
ロープウェイに乗って3分もかからないところで、中間駅の温泉寺駅につく。この日は雨が激しく、もともと乗客は少なかったが、温泉寺で降りたのは我らだけだった。ホームのすぐ目と鼻の先に2つのお堂が見える。まさにお寺の中に駅がある格好である。
ホームは島式なので、地下道を通ってお寺へと出る。人はおらずひっそりとしているが、呼び鈴を鳴らすと奥様らしき女性が出てきてくださった。
2つのお堂があるが、まずは受付をした手前側の本坊に入る。
奥に進むと、堂々たる千手観音像が目に飛び込んできた。
千手観音立像(平安時代後期) 国指定重要文化財 ヒノキ一木造 像高144.7cm
この観音像はいくつかの見るべき点があるようだ。
ひとつには、見ての通り、実際に千本の手を有している真数千手観音である点。ただ、欠落したものがあるそうで、今では834本ほどになっているそうである。それでも非常に壮観な姿だ。
真数千手観音は数は少ないものの、関西を中心として何点かの仏像が遺されている。著名なものでは、天平時代作の唐招提寺像(木心乾漆)、葛井寺像(脱活乾漆)、藤原時代のものとしては、壽宝寺像(一木造)などがある。唐招提寺像や葛井寺像が非常にボリューミーな千手であるのに対して、壽宝寺像は羽根を広げたようなスマートなまとまりだが、この温泉寺の像も壽宝寺像の形態によく似ていると感じる。
もうひとつには、大手が、よくある40本あるいは42本ではなく、真手6本および左右各16本ずつの38本であるという点。2本もしくは4本は失われたのかもしれないが…。また、大手の内のお腹の前の手は禅定印ではなく、左手に宝珠のようなものを持ち、右手を上にかざしているという珍しい形をしている。後補でこうなった可能性も高いだろうが、何を表そうとしているのだろうか。
最後に、頭上の小面、頭頂面、後頭部の大笑面、蓮肉にいたるまで一木から掘り出されている、という点であろうか。正面や斜め前からだとうまく見えないのであるが、頭頂面と後頭部の大笑面以外の、顔の上に並ぶ小面9面は、大面の耳よりも前に配されているという。つまり、後ろから見ると、顔は大笑面だけ、ということになるようだ。
衣紋もきれいだ。下半身は両膝の間から先など、彫りとしてはやや堅めの印象も受けるが、衣紋の肩口からお腹あたりの表現はリアルである。
頭が少し大きめだな、と思うが、童顔のような藤原時代らしい丸顔の優しい表情で、真数千手の迫力に圧倒されつつも、何だかのんびり穏やかな気持ちにしてくれる千手観音像だな、と感じた。
さて、渡り廊下を通って本堂へと移動する。
温泉寺の中興の祖である 清禅法印が至徳年間(1384~87)に造営したと伝わる本堂は、五間四面、和様、唐様、天竺様の三様式を融合した建築であり、国の重要文化財に指定されている。
内陣に入れていただくと、平安時代作の四天王像(兵庫県指定文化財)が目を引く。
畿内からはそんなに離れてはいないものの、中央の仏像とは違う地方仏的な雰囲気が漂う。邪鬼が丸っこくてかわいらしい。
※四天王のお姿はこちらから→温泉寺公式サイト
その四天王に守られるように、中央に大きな厨子がある。今回は拝観できないが、ここには秘仏の十一面観音が納められている。
十一面観音立像(平安時代中期)伝・春日仏師稽文作 像高213.5cm ヒノキ一木造
この写真を見るだけでも、非常に素晴らしい平安仏であることが窺える。それも2mを超えるというから驚きである。須弥壇に載った厨子を見る限りではとてもそんな大きさがあるとは思えなかったのだが、実は須弥壇から上の厨子部分は上半身だけであり、須弥壇の下まで体と蓮台があるのだそうだ。つまり、須弥壇も併せての厨子、ということになる。
頭上面の中には当初のものがあるということでかなり貴重な例である。翻波式衣紋もよく遺り、天衣には渦巻き文も見えることから平安前期とも考えられるそうだが、全体が穏やかで形式的になっていることから、平安中期と考えられるのだそうだ。
この像にはすごい伝承が遺っている。奈良の長谷寺の十一面観音と同木で作られたというのである。木の元で奈良の長谷寺像を、そして先の部分でこの仏像を彫ったというのだ。もしそれが本当であったら、奈良の長谷寺像は像高10mを超えるということもあり、とてつもない大きさの木であるわけだが、この「木の先」という部分から「きのさき」という地名が生まれたという、ちょっとダジャレめいた説もあるのだそうだ。
さらに、温泉寺の発祥に関わる面白い伝承も伝わっている。
道智上人がこの地に温泉を開いた頃、大和には稽文という仏師がいて、長谷寺観音と同木でこの像を造っていたところ、中風になって途中で断念、その像は未完のまま長楽寺というお寺に安置されたが、疫病が流行したことで人々は観音の祟り(仏は祟らないのだが…)と畏れ、川に流したり遠くの難波の海に海中に流したりした(ひどい…)。
その観音像が浮き沈みしつつこの地に知らぬうちに漂着していたところ、たまたま、稽文が道智上人の霊験あらたかなこの温泉で湯治滞在中に川でたまたまこの仏を発見し、自らが完成させられなかった仏像と理解して村人と引き上げて祀り、道智上人に託したという。道智上人はそこから霊験を得て現在の地に温泉寺の伽藍を建立し、それが都にも知られ、聖武天皇から「末代山温泉寺」という勅号を頂く、ということになったというのである。
未完で放置された挙げ句に疫病の元凶に仕立て上げられて何度も打ち捨てられるという、あまりにもヒドい仕打ちを受けつつも、流れ流れて川に浮かんだ状態で作者の元に示現するとは、観音様が気の毒でありながらも何とも感動的な話だ。伝承の真否はさておき、今ではその観音様がきっと来るべくして来たであろう運命の地にしっかりと大切に祀られて、この地を見守り続けているわけである。そんな伝承をもなるほどと思わせるものが、きっとこの像を目にする時には感じるのかもしれない。
普段は33年に一度の開帳であるが、毎年4月23日、24日の開山忌(温泉まつり)の折には厨子の扉が開かれ、上半身部分だけ開帳される。下半身まですべて、ということであれば33年に一度のチャンスを待つしかないが、幸いにして、次回は平成30年(2018)なので、2014年からすると、あと4年ということで比較的近い。その時は厨子の裏から本体をお出しして厨子の前に安置し、なんと3年もの間、そのままになるという。これは見逃せない。
お寺の方にお礼して境内へと出る。雨はますます激しくなっているが、しっとりと濡れた緑が点てる薫りは何ともいいものだ。本当はこのお寺の裏にある多宝塔や、城崎美術館で大日如来などを拝観したいところだが、それはまた次回、ご開帳の際にしよう。
白く煙る山頂の大師山から降りてきたロープウェイに乗って温泉寺を後にした。
【末代山温泉寺(まつだいさん・おんせんじ)】
〒669-6101 兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
TEL:0796-32-2669
拝観料:300円(城崎美術館共通券400円)
拝観時間:9:00〜17:00(ロープウェイ休業日は休み 第2、第4木曜※祝祭日は除く)
アクセス:城崎温泉からロープウェイ3分もしくは徒歩(登山)で15分
ロープウェイ料金:温泉寺まで往復で560円 山頂まで往復で900円(温泉寺で途中下車自由)
駐車場:麓のロープウェイ乗り場前にあり(有料)
[mappress mapid=”78″]
コメント