伊那谷は馴染みが深い。子どもの頃から山好きな両親とともに長野へはしょっちゅう訪れていて、松本や霧ヶ峰、北アルプスへと出かけてきた。そのためには愛知から中央道を走り、伊那谷を走ることになる。かつては長野道がなかったので、伊北インターチェンジで降りて153号線を塩尻へと峠越えしていた。また、姉が学生時代を過ごした地でもあり、その影響で自動車の免許はこの地で合宿で取得していたりもする。
その伊那谷の北端、先述した伊北インターチェンジのすぐそばに、国指定重要文化財の仏像を有するお寺があるというのは全く知らなかった。
合原阿弥陀堂のある阿南地方から1時間ほどで飯田へと戻り、そこからは中央道を走って30分ほどで伊北インターに到着する。そこからは5分ほどの、谷の対岸にあたる部分の高台に無量寺はあった。ずいぶんと大きなお寺である。
無量寺は寺伝によると、元仁元年(1224年)亨賢和尚の開基であり、現住職で51代目。伊那谷は地理的に多くの寺社が戦国時代に焼き討ちに遭っているが、無量寺は幸いにしてその記録がないという。
境内の宝筐印塔がかなり立派だ。
塔そのものは細身であるが、屋根の部分が立派であり、さらに立ち並ぶ石仏が何とも見事である。1803年に作られたもので、周囲を四天王、地蔵菩薩、不動明王などで囲み、東西に真言八祖像を配している。こちらは箕輪町の文化財に指定されているようだ。
予約していた者であることを告げ、本堂から少し離れたところにある収蔵庫へと案内される。頑丈な扉が開けられると、ちょうどまぶしい西日が差し込むようになり、そのまぶしい反射に目が慣れるてくると同時に輝く仏像が現れた。
阿弥陀如来坐像(平安時代後期)ヒノキ材寄木造 像高113.3cm 僧覚有・永範作 国指定重要文化財
何だかあどけない雰囲気がある。なぜこんなにあどけない雰囲気なんだろうと思ったが、体に比して頭部がやや大きめであるだけではなく、螺髪の部分が大きめで、表情も目が大きく口は小さい、というのがそのイメージを感じさせてくれるのかもしれない。
少しだけ口を開いているかのようにも見え、しっかりと目を開いていることと相まって、何かこちらに語りかけようとしてくれているようにも感じる。螺髪は彫りだしているようだが、先がとがっているので、トゲがいっぱい出ているかのようである。
体内には、当時の寄進者と思われる藤原忠成ら34名の名前、作者である大仏師・僧覚有および僧永範の名が墨書にて遺されているそうだ。この一帯はかつては藤原氏の荘園「蕗原庄」であったことから、藤原氏の氏寺のひとつとして作られた寺院の像であると考えられている。
頭が大きくあどけない表情からくるイメージとは違い、衣紋は細かく、非常に美しい仕上がりになっている。冒頭の写真にあるように、脚部の衣紋の美しさからは目が離せなくなるものがある。また、腕のあたりの折り重なる衣紋の襞は非常に美しい。
腕先は後補の可能性もあるだろうが、落ちついた造形がマッチしていてとても美しい。
流麗な衣紋とともに、あどけない表情で、前に座っているとホッとさせられる。安心して来迎して下さるという感じだろうか。
阿弥陀如来の脇侍といえば観音菩薩と勢至菩薩であるが、こちらのお寺ではちょっと変わっている。
左脇侍:聖観音菩薩立像(平安時代後期) 長野県宝(長野県指定文化財)
右脇侍:地蔵菩薩立像(平安時代後期)長野県宝(長野県指定文化財)
詳細はわからないようだが、いずれも平安時代の作のようで、この2体は見るからに同じ工房あるいは作者によって作られたものだろうと思われる。阿弥陀如来の脇にこの2体というのも珍しいが、さらにもともとは阿弥陀堂内にこの三尊のさらに両脇に不動明王と毘沙門天が並ぶ五尊形式であったようだ。江戸時代の宝暦年間に飯田の仏師・井出右兵衛運正、幸八によって修理されたという資料が残るという。
その時の修理のものなのか、古色仕上げで黒い感じになっているところに白い目が目立つイメージが強いが、よくよく見ると、聖観音は条帛が太くてゆったりと右腕にかかっている様は美しく、また顔をよく見ると、下ぶくれなその表情は、室生寺金堂十一面観音の造形に通じるものがある。白毫が抜き取られているのが痛々しい。
地蔵菩薩も衣紋も美しく、やや前屈みになっている体のバランスは、後補の足先がややアンバランスながらもとても良い。表情も近くで見ると凜々しい。
収蔵庫を出て、その隣に立っている旧阿弥陀堂(箕輪町指定有形文化財)へも案内して下さった。三尊像は本来はこちらにいらっしゃったわけである。享保13年(1728年)建立で正面3間、側面4間のなかなか堂々たるお堂である。
中に入ると、内陣と外陣が膝高の仕切りで区切られてしっかりと分けられており、浄土宗系の正当な造りなのだという。
かつて阿弥陀三尊の入っていた厨子には、現在はこちらの目がギョロリとした不動明王や毘沙門天がいらっしゃった。
さらにご住職に本堂にも招き入れていただいた。本堂にはこの寺の本尊である薬師如来坐像が安置されている。
薬師如来坐像(室町時代)
阿弥陀三尊の脇侍である地蔵菩薩・聖観音菩薩とともに、江戸時代に飯田の仏師・井出右兵衛運正、幸八によって修理されたという資料が残っているそうだ。古色仕上げになっているが、ほんのわずかに唇が赤い。
知性のある美少年のような瑞々しさがあってなかかかの美仏である。
お堂を出て、夕暮れ近い境内へと出る。西日がかなりまぶしいが、とても美しい風景と雰囲気を境内に作ってくれていた。
とても丁寧に対応してくださったお礼をご住職に述べて、お寺を後にした。
〒399-4602 長野県上伊那郡箕輪町東箕輪4307
TEL: 0265-79-3051
拝観;要予約
拝観料:300円
アクセス:JR飯田線沢駅から徒歩30分、中央道伊北インターチェンジから車で5分
駐車場:広い駐車場あり(無料)
[mappress mapid=”86″]
コメント