地福院(静岡県河津町)— 破損しつつも女性らしき暖かさと美しさを感じさせる吉祥天

河津桜

(2012年に撮影したもの)

南伊豆の河津と言えば、何と言っても河津桜であろう。ソメイヨシノなどの桜よりも1ヶ月以上早く、梅と同じくらいのタイミングで咲き誇るピンク色の濃い桜で、とてもきれいだ。

ソメイヨシノは人工的な交配により作り出されたとの説が有力なのだそうだが、河津桜はオオシマザクラとカンヒザクラが伊豆において自然配合したことによって生まれたと考えられており、1955年に河津において発見されたものだ。

それ以外にも、河津と言えば曾我兄弟の仇討ちで有名な河津三郎の出身地としても知られる。

この河津は、「」という名前がつくことからも推測がされるように、かつては港町であったようで、文化が流入してくる場所であったようだ。古来からの文化の豊かさを伝える最たるものが、南禅寺(なぜんじ)であろう。26体もの平安仏を有しており、かつては、ならんだ寺という巨大な寺院であったそうだ。小さなお堂に祀られていた仏像たちは、現在は「河津平安の仏像展示館」としてリニューアルオープンした収蔵庫に収まっており、ゆっくりと拝観できるので、南伊豆に行かれる際にはぜひルートに組み込んでいただきたいと思う。

そうした文化薫る地であった河津の地であるが、河津の市街地から海沿いに10分ほど南下したところにあるのが、今回ご紹介する地福院である。

お昼過ぎに河津に着いて、予約時間にはずいぶん早いということもあり、下田まで足を伸ばして、「道の駅下田みなと」で下田バーガーを食べた。3年前に下田を訪れた時に食べて舌鼓を打った記憶があるが、金目鯛1匹まるまるのフライが入っているので非常に贅沢な上に、とても美味しい。下田に行かれるならばぜひオススメしたい一品である。

下田バーガー

伊豆は急峻な地形であることもあって、海沿いの道はアップダウンを繰り返し、またクネクネの道路となっているのはよく知られているが、河津から下田への道もそんな感じである。地福院をカーナビに入れると、かなり手前で国道から山側へと入る細い山道が案内されてしまうのだが、実際には、国道のお寺に最も近いところからすぐに上がれる道があるので、事前に道を調べてから行かれる方がいいだろう。

地福院門前の風景

国道から一気に急坂を登ったところに、静かで広い地福院は境内を構えていた。のどかで静かな風景が広がる。

河津桜の開花にはまだ少しばかり早い時期であったが、お寺の門前の鉢に活けてある河津桜は少しばかりほころんでいた。

お寺前の河津桜

境内へと入っていくと、ちょうどご住職の奥様がお堂を開けて下さっているところだったので、予約した者であることを伝えると、快く堂内へと招き入れて下さった。

※撮影には特別に許可をいただいています(今回は暗所にあったため、補正はかけていますが写真が粗めです。ご容赦下さい)

吉祥天立像(平安時代)像高123.1cm 一木造

吉祥天 全身

上原仏教美術館学芸員の田島整先生が伊豆新聞に連載されていた「伊豆の仏像」という中に出てきたのがこちらの吉祥天である。たまたま見かけたその記事を読んでから、河津を訪れる際にはぜひ拝観したいと思っていた。

お厨子を開いて下さった中に、黒々としたお姿が目に飛び込んでくる。思っていたよりもずっと大きい。直線的な体が印象的である。体部だけを見ると、まるで立木仏のような真っ直ぐさである。

実はこの像は、かつてはここから少し南に海沿いへと下った、現在は尾ヶ崎ウィングという休憩場があるあたりに存在した薬師堂に、薬師如来として祀られていたのだそうだ。しかし本来は見ての通り薬師如来ではない。両腕の下に垂れ下がっている衣は三重になっており、田島先生の記事によれば、これは天部の特徴であるのだそうだ。薬師如来であれば左右の印も逆だろうか。ちなみに、像に比してやや大きすぎの両手先は後補である。

吉祥天 左側から

火を受けているのか、いぶされたのか、かなり黒い状態であるが、やや暗い中、お顔を拝見すると、優しく穏やかな表情をされているのがわかる。そして何と言っても、両肩に掛かっているお下げのような髪の毛からしても、とても女性的だ。口が小さく顎がふくよかな、丸っこくて暖かみのある雰囲気がとても愛らしい。

吉祥天 上半身

破損が激しい状態ではあるものの、腹部の衣紋はよく遺っている。田島先生が「伊豆の仏像」で指摘しているように、お腹の部分の衣紋を絞った形でちょうちょう結びにしているのがリボンのようで、何だか女性的なものも感じさせる。三重の天衣の放物線も美しい。

吉祥天 腹部

脚部に眼をやると、右腿の部分に木のの部分なのかウロなのかわからないが、見事なほどの穴のような部分があるのがわかる。木芯を残さない芯去り材の方が暴れない安定したものになるというが、あえてこうした部分を像に含ませて彫るのは、霊木信仰的な意味合いを持たせた神仏習合の像であると聞いたことがある。この像もやはりそうした性質を持っているのだろうか。ちなみに足先は後補である。

足元

何だか痛々しいほどに荒れているが、先日の東高尾観音寺でも感じたように、朽ちてもなおその像が本来持っていた雰囲気というものは遺るものなのだな、と改めて感じる。

幾星霜の運命をくぐり抜け、いっときは薬師如来として、そして今は本来の吉祥天として、昔と変わらず、静かにこの地を守り続けている吉祥天。最後にお顔を拝見すると、何だかほんわかとした微笑みをたたえているようにも見えた。

吉祥天 近影

 

ご住職の奥様には下田にある著名な洋菓子屋の美味しいお菓子やお茶までいただいて大変にお世話になった。

お礼を申し上げてお堂の外に出て、少しずついろいろな花が咲きかけている境内の風景に、春の近さを感じつつお寺を後にした。

 

【参照サイト】

 

【地福院(じふくいん)】

〒413-0514 静岡県賀茂郡河津町縄地430
TEL:0558-32-0846

拝観:要予約(時期に余裕をもっての予約が必要)
拝観料:志納

アクセス:河津駅から縄地・下条行きバスで縄地下車
駐車場:なし(小型車であればお寺前の少しだけ広くなった路肩に止めることができる)

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吉祥天 上半身

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コメント

コメント一覧 (4件)

  • この吉祥天像は朽ちてもなお、お姿を拝む者を温かく見守るような優しさを感じますね。
    六波羅蜜寺の吉祥天像も三井寺の吉祥天像も鎌倉期の仏像というだけあって、お姿を拝んでもっと鋭い感じを受けて、特に六波羅蜜寺の像には気の強さを感じましたが、、それとはかなり違う感じがあります。
    余談ですが、浄瑠璃寺の吉祥天像はご開帳の時に行ければ、お姿を拝みたいと思っています。

    河津ではやはりならんだの里河津平安の仏像展示館は訪ねたいですし、伊豆で仏像拝観のできるお寺や美術館ではほかに、かんなみ仏の里美術館も行きたいですが、一番行きたいのは願成就院ですね。

    僕としては、金目鯛の煮付もお造りも好きながら、高級魚なのでなかなか食べないのですが、下田バーガーも一度食べてみたいですね。

  • >大ドラさま

    いつもご覧頂きまして本当にありがとうございます!コメントをいただけるのもいつも感謝感謝です!

    確かにこの吉祥天像は本当に素朴で優しい暖かさを感じますよね。ふくよかで、平安時代の女性らしい雰囲気を感じました。痛々しいお姿ではありますが、前に座っているとホッとするものがありました。ならんだの里の仏像展示館にも吉祥天の破損仏がいらっしゃいますが、この地に平安時代の吉祥天像が2体も伝わっているあたりに、河津の当時の繁栄が見て取れるそうです。

    三井寺や六波羅蜜寺の吉祥天像は知りませんでした。ぜひ拝観してみたいですね。浄瑠璃寺の吉祥天像も鎌倉時代作ですが、あちらは妖艶な感じもしますよね(笑)何度か拝観させていただきましたが美しかったですねー。

    河津では善光庵という小さなお寺の十一面観音はとても良かったです。それ以外でも、上原仏教美術館もとてもいいですよ。しばらくリニューアルに入るようですが、毎年正月には吉田寺の慶派による阿弥陀三尊像も出品されますし、阿弥陀如来像も美しいです。蓮台寺にある天神神社の大日如来、下田市街地の稲田寺の阿弥陀三尊などもとても良かったです。他にもまだあるそうなので、また訪れるのが楽しみです^ ^

    下田バーガーは意外な美味しさでした。ちょっとカロリー高そうですけどね(笑)

    (ブログの見た目としては最近あまり変化がなかったかと思いますが、多摩美大美術館の特別展の分を先にアップしていたためでして、実は最近はそれより前の日付のエントリをちょくちょくアップしておりますので、もしよかったらそちらもご覧いただければと思います ^ ^)

  • ソゾタケさん、いつも勉強になります。なるほど、両袖の特徴から天部像と分かるのですね。

    我が家にも立像の伝鬼子母神像を昔からお祭りしておりますが、観音像のような優しい顔をしているにも関わらず、着てる服が菩薩のそれと違うので、一体何だろうと思っていましたが、両袖が天部像の特徴になっているのが分かりました。謎が一つ解けました。ありがとうございます。

    お写真を拝見する限りですが、感じる雰囲気からして霊木像だと思います。同じ霊木で彫った毘沙門天や善膩師童子の親子三柱で祀られていたか、それとも弁財天とコンビで祀られていたか・・・想像すると楽しいですね。

    吉祥天に限らずですが、天部像単体を本尊に寺を建てるとは聞いたことがないので、薬師堂とか薬師如来と呼ばれていたことから考えると、嘗ては薬師如来を主尊とするお寺が何処かに在り、そこの内陣か境内の一角に、この像をお祭りしてたような気もします。もう知ることは難しいかもしれませんが、地元に残る昔話や古文書の類があれば吉祥天像を祀っていたお寺のヒントがあるかもしれませんね。

  • >もみじ様

    いつもありがとうございます。
    鬼子母神像をお祭りなんですね。仏像は時代を渡っていく段階においていろいろと名称が変わったりもしますよね。この吉祥天像も薬師如来として祀られていたということも同じでしょうか。その時代時代での拝む人たちの要求というものの違いなのかもしれません。

    この吉祥天像、確かに霊木像っぽい雰囲気を感じます。節目が見事に残っているところも神仏習合的なイメージがありますよね。かつては薬師如来が本尊のお寺があったのか、きっと上原仏教美術館の田島先生が今後、徐々に解き明かしていってくださるのでは、と期待しております。

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