「ほほえみの御仏—二つの半跏思惟像—」展(東京国立博物館)

 

ほほえみの御仏展図録表紙の写真

(博物館で販売されている図録の表紙と裏表紙)

 

2015年に日本と韓国が国交正常化50周年の節目の年を迎えたということで、そこから企画された、日韓の国宝仏を、双方の国で展示する、という特別展が現在、東京国立博物館で開かれている。

6世紀ごろの古代の日本と朝鮮半島というと、三国時代の高句麗、百済、新羅との複雑な関係や、そして日本国内でも蘇我と物部が台頭しつつある時代にあって未だ安定した状態とは言えず、双方とも混沌としていたわけであるが、古くより海を隔てて隣国ということで、渡来人など、文物、文化の交流が本格的にあったようである。

その最たるものが、538年(552年とも)に日本へと伝わった1体の金銅仏と経典類。この扱いを時の欽明天皇が悩んで蘇我稲目と物部尾輿および中臣連に相談し、最終的にはその子たちの世代に一大権力闘争となって物部氏滅亡という結末を見る、というのは歴史の授業で習ってきたことで誰もが聞いたことがある内容であろう。そうした時代に、朝鮮半島で流行していたこうした仏像が流入してきたようだ。

その像容は右足を左足にかけて左足を踏み下げる半跏思惟像である。この像容について、販売されている本展の冊子の解説がなかなか興味深い内容であったが、それはまた後ほど触れることとしよう。

ほほえみの御仏展入口 写真

韓国を代表する国宝のうちの1つが来ているということもあるのか、東京国立博物館の入口では持ちものチェックだけではなく空港のような金属探知機を通らなければならない。博物館の入口で行われているので、ギリシャ展を見たい人も常設だけでいいという人もみんなチェックされることになる。東京国立博物館では初めて経験する。

会場は本館1階正面奥の「特別5室」。最近は出展数が少なめの中規模の特別展はここを使うことが多い。

中に入ると、かなり薄暗いが、2体の仏像が分厚いガラスケースに入って、10mほどの距離を置いて向き合っている状態で展示されていた。

半跏思惟像(三国時代・韓国国宝78号)銅像鍍金 像高82.0cm 坐高50.75cm

韓国国宝78号 正面

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

思ったよりも小さい仏像であったが、法隆寺宝物館に並ぶ同時代の銅製半跏思惟像から考えれば、かなり大きなものであることがよくわかる。

写真で見ていた時は、やや平ぺったい感じなのかな、と思っていたのだが、実際に見てみると、カーブがふんだんに使われた曲線美そのものであった。

韓国国宝78号 側面

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

座って後ろにもたれた背中から腰へのカーブ、腕、足、そして衣紋と、すべてが曲線で造形されている。半跏した右足も直線的に見えるが、なだらかにしなっており、非常に美しい。

特に衣紋のカーブの美しさは比類がない。天衣のような長く流れる衣は複雑にいろいろなところに絡み合っている。半跏の右足の下の衣は平坦な裳懸からグワッと衣が盛り上がってるようで、そこにシワがよっているのがリアルに表現されているし、また天衣は腰の辺りから垂れ下がったところで立体に飛び出てカールしたようになっている。両肩にかかって少し反ったように尖っている衣もまたきれいだ。

韓国国宝78号 右斜め前から全体

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

後ろから見ると、中宮寺像と同じような樽のような倚子に座ってはいるが、右足を半跏して上げているということからなのか、倚子の座面が傾いて造形されているのである。この点は中宮寺像とは大きく異なる。不安定にも見えるがそれが躍動感をも感じさせる。正面や側面から見ると、裳懸は直線的で、前面と側面は90°に折れ曲がるようで堅い表現だが、見えない後ろ側のこうした部分に相当なリアリティを出しているところはなかなかニクい。

頭上の宝冠は塔や自然の風物があしらわれているそうだが、独特で面白い。冠から垂れ下がる帯状のものが直線に垂れつつも最後に柔らかさを感じるように垂れている様や、垂髪の先が、中宮寺像のようなワラビ状態ではなく結わえられていて花びらのようになっているのも美しい。

韓国国宝78号 近影

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

表情もどちらかというと広隆寺の弥勒菩薩像に近い大陸のやや厳しい表情にも見えるものの、「凜々しい」「精悍」という言葉の方がしっくりとくる。ひとことで言えば、爽快な青年のような仏像であると感じた。

 

中宮寺 半跏思惟像(伝如意輪観音)(飛鳥時代・国宝)像高167.7cm 坐高87.9cm

中宮寺如意輪観音 全体

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

法隆寺に行ったことがある、という人でも、中宮寺には行ったことがない、という人は意外に多い。日本人であれば誰もが写真は見たことがあるであろうスーパー有名な仏像であるにも関わらず、である。不便なところにあるのかな、と思いきや、実は法隆寺の夢殿とは塀を隔てただけでまさに隣接しているのであるが、多くは夢殿で引き返してしまう。そのため、中宮寺はいつも静かだ。

大仰でやや情趣には欠ける現在の本堂兼収蔵庫であるが、その静けさ故に、この静謐そのものともいえる仏像には適した環境ともなっているのかもしれない。

中宮寺 半跏思惟像 上半身

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

創建時の中宮寺は現在地の東方400mほどにあった。聖徳太子の母・間人皇后にゆかりある寺であり、皇后を意味する「中宮」からついた名前なのかと思っていたが、実はそうではなく、聖徳太子が住した斑鳩宮、太子が法華経を講じ、後に山背大兄王が法起寺に改めた岡本宮、そして太子が晩年を過ごした葦垣宮を結ぶ三角形の真ん中あたりに位置するということで「なかのみや」としての名前なのだそうだ。

現地を訪れると、須弥壇の上に安置されている半跏思惟像をガラスはなく拝観できる。現地で実際にお会いすると、写真で見ていたイメージとはやや異なり、かなり凜々しい男性に見える、というのが長年この像に接してきての感想である。だがお寺では5,6mは離れることと正面からのみであるため、近くで、また側面などからもぜひ拝見したいと思っていた。

この像は東京には何回か来ていて、私が東京に来てからも来ているのに見逃している。今回は何としても、という思いもあったために、会期の初期に訪れたのであった。

照明は薄暗く、分厚いガラスに囲われているものの、像の様子はよくわかる。

中宮寺 半跏思惟像 横顔近影

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

まず面白いと思ったのは、今までずっと正面からしか拝観していなかったことから、全身が漆でツルツルしているのかと思っていたが、実際は正面、それも顔と上半身の前面だけであった。あとはつや消し黒、という感じである。この部分だけがツルツルしてるのは、過去に撫でられた形跡なのか、或いはお身拭いをしているということだろうか?

やはり遠くから拝見するのとは表情は大きく違って、かなり優しいお顔をされていると感じた。周囲の人たちは、意外に男っぽい表情だと異口同音に話していたが、私は今までお寺で男性的な凜々しさを感じて接してきたこともあり、近くで拝見すると、女性的な柔和さもあることがわかる、という逆の感想を抱く。

中宮寺 半跏思惟像 側面

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

広隆寺の宝冠弥勒や、今回日本に来てくれている韓国国宝78号像もそうだが、横から見ると上半身から腰への円弧を描くようなカーブが非常に美しく、そうしたところにプリミティブさを感じて、なんだか飛鳥時代っぽさを感じるのであるが、中宮寺像は思ったよりも連続性のある円弧的カーブではないことに気づいた。身体は右肘をついていることからしても当然前に倒しているのであるが、やや胸を張っているというか、背筋を伸ばしているのだ。

そして今回間近で拝観して初めて知ったのは、指のあまりの美しさであった。78号像も反りのある造形が非常に美しいが、中宮寺像はその爪の先までの細かい造形、足の指の裏のぷっくりした造形などは写実的そのもので、ちょっとドキッとしてしまうほどだった。

中宮寺半跏思惟像 指

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

飛鳥時代とはいえ、正面観照性よりも白鳳時代の銅像仏のようなリアルな衣紋の造形、腰のあたりの衣の密着した雰囲気、光背の造形とそれを支える木が竹のような造形になっていることなど、じっくりと拝観する。

まさに等身大の堂々たる造形、この時代には非常に珍しく寄せた材で作られてはいるが、体部から台座まで、まさに一体で作り上げられたようなその完成度はやはり素晴らしい。横から見ると、頭からゆるやかなカーブを描いて降りてきて、足の斜めのゆるやかな斜面と台座の衣紋へとすっと抜けていくような気の流れを感じた。

 

広い展示室に、2体だけ、離れて向かい合う形で仲良くという雰囲気ではない感じで展示されていて、ご本人たちはどう感じているのかな、とは思うものの、両国の人たちがそれぞれの地での素晴らしい造形、そしてそこに共通するもの、長きに渡る交流の歴史をその場で感じられるということは素晴らしいことだと思う。

2つの半跏思惟像

(博物館で販売されている図録冊子より)

 

さて、図録冊子の解説についてであるが、半跏思惟像の変遷が解説されていた。

ガンダーラ以降に作られた半跏思惟像あるいは両足をクロスさせる交脚菩薩像は、本来は成道前の釈迦であるシッダールタ王子の造形であったようだ。思惟とは、もともとは衆生をどう救うのかを悩むシッダールタであったわけだ。

その後、半跏像は蓮などを持つようになり、徐々に観音菩薩としての位置づけとなって独自の信仰を集めるようになったという。

ここで、思惟像ではないものの二臂で半跏の観音ということで思い出されるのが、石山寺の本尊で、かつては”石山様“と呼ばれた様式の観音菩薩である。現在は醍醐寺の影響で如意輪観音とされているが、同様の岡寺東大寺大仏殿(両像とも現在は結跏趺坐に改められている)の二臂半跏像は、日本でも造像当初は観音像であり、この辺りにはインド由来の源流が残っていたということなのだろうか。また、ガンダーラ以降の像では脇侍を2体ともに半跏像とするものあったようで、これらは天平時代あたりでも見られる造形(東大寺大仏殿の当初像や東京国立博物館などに所蔵されている日光・月光像、龍華寺の半跏像など)に結びついていると感じさせるものがある。

※関連エントリ
東大寺大仏殿(奈良県奈良市)その(2)— 大仏の脇を固める仏たち

 

西域やキジルあたりの弥勒信仰とも結びつき始めた半跏思惟像は、弥勒菩薩の脇侍として作られるようになっていたのが、中国に入った辺りから入れ替わり、半跏思惟像そのものが弥勒菩薩として表現されるようになったのだそうだ。

その後、古代朝鮮半島における三国の争いに疲弊した中でも、衆生を救う未来仏としての弥勒信仰が流行し、そのまま日本へともたらされたようだ。

中宮寺の半跏思惟像は寺伝では如意輪観音とされているのは先述のとおりの醍醐寺の影響によるもので、もともとは弥勒菩薩として造られた物ということだろう。その半跏思惟像の源流は、衆生を救おうと悩むシッダールタ王子の姿であり、そう考えてみると、この寺は同じく衆生を救うことを考えていた聖徳太子に由来する寺であることからして、精悍なその姿に、若き厩戸皇子の姿を見ることもできるのかな、とも感じた。

 

【日韓国交正常化50周年記念 ほほえみの御仏—二つの半跏思惟像展】
http://hankashiyui2016.jp/
会場:東京国立博物館 本館特別5室(〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9)
会期:2016年6月22日(水)〜2016年7月10日(日)※会期中無休
時間:9:30〜20:00
料金:大人1,000円
※博物館入口にて、持ち物検査および金属探知機によるセキュリティチェックがあり、場合によっては入場までに時間がかかることも予想されます
※会場内での展示はこの2体のみです

 

ほほえみの御仏展入口 写真

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • ありがとうございます。素晴らしい説明に敬服します。11年ぶりの国立博物館、韓国の国宝半跏像と御一緒にお参りしました。初めての所持品検査に微笑んでいられない日韓の実情を実感いたしました。5回目の拝観時に偶然、天皇皇后両陛下も来臨されました。遠い祖先の間人皇后の面影を偲ばれたのでしょう。ゆったりとこころゆくまで拝観できる幸せを噛み締めました。

  • >宇佐秀穂さま
    ご覧いただきまして本当にありがとうございます。
    5回も行かれたとは素晴らしいですね!両陛下がいらっしゃる少し前に私も二度目の拝観をいたしました。実現には関係者の血のにじむようなご苦労があったとも聞きますが、いろいろなことに思いを馳せながら、ゆっくりと両像を拝観できて幸せな時間でした。

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